『洲崎パラダイス 赤信号』

1956年、日活。 監督:川島雄三。出演:新珠三千代、三橋達也、芦川いずみ、轟友起子、河津清三郎、小沢昭一。

江東区にある洲崎川にかかる洲崎橋のたもとに一軒の居酒屋兼貸しボート屋がある。橋の向こう側にはアーケード型看板に「洲崎パラダイス」の文字が躍っている。言わずと知れた赤線地帯である。女将一人が切り盛りするこの居酒屋の店先に、ある日、くたびれた風体の一組の男女(義春と蔦江)が腰を落ち着けるところから話は始まる。

居酒屋の女将の顔もまともに見ることのできない義春は、覇気のないいじけ男だが、蔦江のほうはけっこう口八丁でその日から居酒屋の手伝いとしてねぐらを確保する。しばらくして、女将の紹介で義春も近所の蕎麦やの出前持ちの仕事が見つかり、ほっと一息と思ったのも束の間で、蔦江は店に来る成金男をたらしこんでその愛人に。しかし結局のところ、蔦江はふがいない義春を忘れられず、彼のもとに戻り一緒に洲崎を後にする。来た時と少し違って、義春にはほんの少しだけ蔦江を導く能動性が兆している。もっとも確かな希望などあるはずもなく、相変わらずの腐れ縁ではあるのだが…

「赤信号」の意味は何なのだろう? じつを言うと、蔦江はかつてこの洲崎パラダイスで春をひさいでいた過去を持つ。その過去に舞い戻るギリギリのところが「赤信号」なのだろうか? 川の向こうは振り捨てたはずの過去、その過去をなぞるような成金男との関係、その危険信号をすんでのところで回避させるのが、ダメ男との腐れ縁らしい。

こんな解釈にたいして意味はない。肝心なのは、この映画のもっている厚みだ。公開は1956年、つまり昭和31年。敗戦後11年だから、映画に関わっている人々はほとんど戦争体験者のはずである。まだ生々しい戦争と復活への息吹が兆している時代で、だからこそ、「洲崎パラダイス」のアーケード型看板の下を、いささか場違いなほど、ひっきりなしにダンプカーが通るというか、吐き出されてくる。にわか成金たちが金と欲望を吐き出して戻る姿なのかもしれない。じっさいには東京湾埋め立ての光景のひとつらしいが、ともかくも戦後復興の端緒をしのばせる一風変わったシーンである。

そんな戦後をすくい上げた監督川島雄三の力量に讃嘆するとともに、この時代を生きた人々の生きる力の厚みにも静かな感動を覚える。こんな時代があった、こんな映画監督がいた、こんな映画があった。

むさしまる