妻と2男5女を残して父親は何の前触れもなく「鐵馬」とともに失踪する。その「鐵馬」が長年の空白をへて次男たる筆者に発見され、そのときから父親探しが始まる。『自転車泥棒』(呉明益)の物語はこんな出だしだ。「鐵馬」とは息子の名前ではなく「自転車」のすてきな台湾語表現である。鐵の旧字体はその重厚な構造を思わせ、生き物の馬の字には乗り手との連帯感が生まれそうだ、人馬一体というふうに。

父のかつての名は三郎。無口な人で過去のことは語ろうとしなかった。第二次大戦中は志願して日本の高座海軍工廠で働きそこで終戦を迎えたらしいが、ほとんど触れられない(工廠での体験は『眠りの航路』に詳しい)。そもそも、語り手の「ぼく」が探しているのは、謎めいた父親というより、父親の愛車たる、その名も「幸福」印の「鐵馬」の来歴ではないかと思える。

「幸福」印「鐵馬」の来歴とはすなわち、父の愛車に深く関わった人々や動物、それと背景になった場所と時代も含まれる。動物はゾウとオラウータン、とりわけ過去の恩人を忘れないゾウには手放しの敬意が払われている(言葉をもつ人間の忘恩を思わずにはいられない)。場所は台北の中華商場から山間部の先住民村落へ、日本、中国、ビルマと広がり、時間のほうは戦中から現代まで。ビルマは日本軍の「銀輪部隊」が活躍した地域として触れられ、この地で恩人を忘れないゾウが絡んでくる。

呉明益は1971年生だが、その物語には先の戦争の影が色濃い。ただ、高座海軍工廠に触れた『眠りの航路』にしても、ビルマ戦線を扱うこの『自転車泥棒』にしても、戦争の暴力と悲惨を描きながら、その一方で異界への穴のようなものが仕掛けられている。それが戦争の相対化にもつながり、また作品に非現実な色彩を施すことにもなる。その異界への移動手段こそ、幸福印の自転車「鐵馬」に他ならないのではないか。作者のこだわる幸福印鐵馬は時空を超えるのだ。

だから本書にはノートと称する自転車に関する記述がある。筆者自筆の自転車図がいくつも載っている(多くは幸福印のもの)。細密画に近いそれらは不思議な味わいをたたえ、眺めていると時代の息吹さえ伝わってくるようだ。最後のノートに付された図は鳥やオラウータやゾウを枝のなかに抱いているガジュマルの巨樹を描いたものだが、よく見るともう一つ、銃を背中に担いだ銀輪部隊の兵士と鐵馬がひそんでいる(本のカバーの図では残念ながら見えない)。
兵士の国籍はどこだろう。鐵馬はどこを目指しているのだろうか。

むさしまる