今回は差別にまつわる作品を二つ紹介しよう。まずは『人種主義の歴史』(平野千果子、岩波新書2022年)。『フランス植民地主義の歴史』でデビューした平野が、領域をヨーロッパに広げ、大航海時代から現代にいたるまでを通観した、まさに小さな本格派と呼びたい作だ。

どの学問分野も専門領域という穴場に閉じこもって細部の分析に血道をあげている今日にあって、このような時間と空間の広がりをカバーする研究に取り組むには勇気がいる。大風呂敷を広げて…と難詰する手合いが必ず出てくるからだ。しかし、共同研究のメリットは確かにあるにしても、一人の視点で大きな世界を俯瞰する研究の必要性は疑うべくもない。その点で岩波の人選は間違ってなかった。

その証拠に、冷静で犀利な分析の底に感じ取れる怒りのマグマはここでも生きている。読者の反省を促す指摘も、たとえば「ヨーロッパの人種主義を論じる際に、ゴビノーの名に言及しておけば事足りるかのような姿勢」など、一知半解の徒たるを免れがたい者には貴重だ。

さらに、この手の指摘はヨーロッパの研究者にも及ぶ。ヨーロッパから遠く離れた地での人種主義には積極的に発言行動していたジャーナリストや研究者が、いざ自国ないしヨーロッパの人々が問題になると奇妙に口ごもったり沈黙したりする、と。なるほど、根が深いのだ。

そしてもう一点、終章の最終頁で記される問題意識は著者の「いま、ここ」を伝えて余りある。「しかしこの問題の困難は、無意識のうちに、場合によってはむしろ善意のうちに、人種主義に加担してしまう場合もあること、しかもそれが日常レベルで多く起こることではないだろうか」。この指摘は重い。

次の作品『芝浦屠場千夜一夜』(山脇史子、青月社2023年)は、理論的な色彩の平野作品とは好対照の、差別の現場を取材した体験記である。一読して印象的なのは、取材対象である芝浦屠場およびそこに働く人々に対して筆者山脇のとる「間合い」である。その「間合い」を、さてどう説明したらいいだろう。

例えば、筆者は取材の任務、すなわち書くために現場を観察していることをときに忘れていた、と告白する。「見たい、見たい。世の中の動いている場所に行って一番前で見たい」という欲求が先行しているから当然そうなるだろうが、この取材任務を忘れているときの「間合い」は、いわゆるルポライターのそれとは截然と異なる。『世界屠畜紀行』を著した内澤旬子のような、もともとバイアスをもたない人間のあっけらかんとしたもの(それはそれで嬉しいのだが)とも異なる。

山脇の「間合い」はその場で作り上げてゆくものだ。それも意図的にするのでなく無意識的に、直覚的にそうなってゆくのである。ルポライターという社会的常識に身を固めた職業人が、常識の鎧を、我知らず、脱ぎ捨ててゆく。このいわば脱皮の運動は縁日の目もあやな出し物に思わず惹かれるあの動きに近い。これを生み出す原動力は何か、それは「子ども性」(幼児性ではない)、あるいはラディカルさに通じる素朴さ、ではないかと思う。人種主義の陥穽を回避するひとつのヒントはこの辺にありそうだ。

さて、取材される側、観察される側からすると、この「間合い」は物珍しく心地よかったろう。ある種のバイアスのかかった視線を受け続けてきた現場の人々にとって、「見る」立場あるいは「観察する」権力を放棄してゆく人間の「まなざし」には、反感どころか共感すら覚えるのではないだろうか。

その代表が伊沢さんだ。芝浦屠場で労働運動を組織し、解放運動支部の初代支部長となった、豪胆な外皮の下にきわめて繊細な感受性をもつ伊沢さんは、初手からこの「間合い」を鋭く感知して筆者山脇を同類として受け入れた。あるいは彼のなかにもラディカルな「子ども性」が息づいていたのかもしれないが。

ともあれ伊沢さんは、屠場入りに断固反対した山脇の実父に代わって、屠場世界の
またとない案内役を果たした。彼は、山脇が求めてやまない理想の父親でもある。その点からすると『芝浦屠場千夜一夜』は夢物語に似る。と同時に、山脇から伊沢にあてた鎮魂歌であり、惜別の詩でもあろう。と、こんなことを文字にしながら、ふと、伊沢さんがもしこれを読んだら「ケッ!」と吐き捨てるだろうな、と感じる。でも、そういわれて不快じゃない。それを納得するためにも、彼の恫喝「こんなの、生活っていうのは、こんなんじゃないよ、こんなのママゴト遊びだ」を胸に刻むためにも、この物語を繙いてほしい。

むさしまる