人生の苦悩を美しい歌に――チョン・ミョンフン指揮の『オテロ』


チョン・ミョンフンの指揮による『オテロ』は、激しく、また美しく、聴きごたえ十分であった。これほどシンフォニックな魅力に溢れていたのかと、認識を新たにした。演奏会形式であったゆえ、音楽に十分に没頭できた。こんな舞台に接すると、大仰な装置に囲まれた華やかな舞台は、なんだか邪道のように思えてくる。私の席は3階のバルコニー席。彼の指揮ぶりが手にとるように分かる。その明快でしなやかな指揮棒を目で追っていると、ヴェルディ(1813-1901)の音楽の本質が理解できるような気がしたものだ。

それは、人生の苦悩を歌にした、ヴェデイ独自の世界である。40歳前後の作品『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』、壮年期の『仮面舞踏会』『運命の力』『ドン・カルロ』、そして『アイーダ』――まさに傑作の森であり、これらの作品には、人間の苦悩が底流となって流れている。そしてそれが、美しい歌として表現されているのだ。なんという音楽であることか! プッチーニのオペラも、ヴェルディ以上に流麗な歌に満ちている。けれど、ヴェルディの深みには及びようがない。

功なり名をとげたヴェルディは、1871年に『アイーダ』を発表してから、16年間も田舎に引きこもっていた。ヴェルディに再び筆をとらせたのは、アッリーゴ・ボーイト(1842-1918)である。彼は作曲家でもあるが、豊かな文才の持ち主であった。シェイクスピアの『オセロ』を台本化して、ヴェルディを訪問する。

ヴェルディはボーイトの台本のどこに惹かれたのだろうか。そもそもヴェルディは、シェイクスピアの作品世界を心から愛していた。その40年前には『マクベス』を作曲しているし、『リア王』のオペラ化も考えていた。人間とは何かを追究しつづけたシェイクスピアは、ヴェルディにとって、もっとも身近な作家であったのだろう。

ボーイトは、『オセロ』に登場する人間群像を、性格も含めて簡潔に表現した。イアーゴはより狡猾に、デズデーモナはより清純に、主役のオテロはより嫉妬深く。物語の立体化がはかられて、ヴェルディの音楽は劇的要素を増すことになった。

このオペラは、愛と嫉妬をテーマとする。愛と嫉妬は表裏の関係にあり、人生を破滅させるほどのものである。オペラのテーマとして、それほど珍しいものではない。『オテロ』の特異性は、嫉妬を誘発させる悪人、イアーゴを登場させたことである。彼はカッシオというデズデーモナの愛人をでっちあげる。オテロはイアーゴに唆されて、存在しないデズデーモナの愛人に嫉妬する。

オテロは戦いに勝利し、政治の世界でも頂点を極めていた。しかし、それらの世俗的な名声も、デズデーモナへの愛に比べれば、何ほどのものではなかった。それほど大切な愛が、イアーゴの策略によって、脆くも崩れ去る。そして、愛しいデズデーモナを殺害するに至る。このオペラは、不条理劇の様相を呈している。オテロの愛に欠けていたもの。それは「信じる」ことであった。たとえ裏切られようとも、信じること。

「ヴェルディとボーイトの協働作業は、モーツァルトとダ・ポンテ、R.シュトラウスとホーフマンスタールと並んで、オペラ史における『天恵』とでもいうものだ」。これは演奏会当日配布されたパンフレットの、小畑恒夫氏の言葉である。ふたりは『オテロ』制作の前に、中期の作品『シモン・ボッカネグラ』の改訂作業で仕事を共にしている。メロディアスな中期の作品にヴェルディ晩年の彫琢が施されて、これまた稀にみる傑作となっている。そして、シェイクスピア原作の『ファルスタッフ』が、ふたりの協働作業の掉尾を飾る作品となった。これは悲劇とは真逆の、人生を笑い飛ばす作品となった。「人生は冗談」。苦悩をくぐりぬけた80歳のヴェルディの、にこやかな顔が目に見えるようだ。

2023年7月23日 於いてオーチャードホール

指揮:チョン・ミョンフン

オテロ(テノール):グレゴリー・クンデ
デズデーモナ(ソプラノ):小林厚子
イアーゴ(バリトン):ダリボール・イェニス
ロドヴィーコ(バス):相沢 創
カッシオ(テノール):フランチェスコ・マルシーリア
エミーリア(メゾ・ソプラノ):中島郁子
ロデリーゴ(テノール):村上敏明
モンターノ(バス):青山 貴
伝令(バス):タン・ジュンボ

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)

2023年8月2日 j.mosa