まさか、渋谷センター街の飲み屋で、こんな話に耳を傾けることになろうとは……、と井の頭線の電車に揺られながら、ぼんやりと酔った頭で反芻していた。今から二十年少し前の話だ。飲み屋というのは正確じゃない。「ロシナンテ」という今はなきバー兼スナックみたいな場所で、マダムが「ショウ子さん」、バーテンが「クマさん」といっていた。客はわたしたち二人だけ。

こんな話というのは、「西洋近代をきちんと通過しないと、日本の真の姿は見えてこない」という中心主題にまつわるさまざまな論点だった。もちろん、酒の席とて、「クマさん」にからむ戯言から、ここには書けない下ネタまで、人事百般に及んではいた。だが、当時のわたしにとって、こうした人事百般は上記の中心主題をなおのこと引き立たせる脇役でしかなかった。

この「西洋近代……」の話者とは、構造人類学者、音楽社会学者たる北澤方邦である。ちょうど『感性としての日本思想』(藤原書店2002年)が上梓された頃だった気がする。フランス文学に生半可にはまり込みつつ、行き詰まるほど探求もせず、それでも西洋近代の野蛮さというか傲慢さというか、そんなところに反発を覚えながら、その西洋にまつわる(中途半端な)知識を売り物にしている自分に忸怩たる思いを感じていた頃でもある。

やはり出会いというしかない。このときの北澤方邦ではなく、彼の語る言の葉、「通過するべき西洋近代」との出会い、である。これを機に、わたしは少し、よい大人になった。友達たちは、「おまえ最近お勉強してるじゃないか」と茶化してくる。家内は「オジサン(わたしをこう呼ぶのだ)、北澤先生に会ってから遊ばなくなったわね。本よく読んでるし」とのたまう。彼女は北澤方邦の教え子の一人である。

いや、正直あの頃は、もっともっと読んでおかないと……と必死の思いだった。読書の下知識が最低限のエチケットだと感じていた。そして、この出会い以降、西洋にたいして、それまでとは違う視点をもつようになっていった。この点で、まちがいなく北澤方邦はわたしの恩師である。該博な知識、あの論理の鋭い切れ味、それを相殺するような子供っぽさ……

その北澤方邦が逝った。彗星の光芒のように、夜空に航跡を残して。
合掌…

むさしまる