先ごろ話題になった映画『パラサイト』は「半地下の家族」という副題だった。土砂降りの雨のときは床に雨水がたまり、豪雨となれば生命まで脅かされる。そうでなくとも、かろうじて明かりがさし込む窓のそばで放尿する酔っ払いがいる。恵まれない半地下生活者たち。だからこそ豪邸家族に意趣返しも当然の成り行き、というようなストーリーだった。

近代化の激しい都市部の吹き溜まり、格差社会の底辺に生きる人々…などという通り一遍な単語が思い浮かんでくる。だが、上には上があることを知った。別に貧乏自慢大会じゃないが、地下二階、地下三階生活者のあることを知った。この9月に発売された『彼女の名前は』(チョ・ナムジュ著、筑摩書房)に出てくる少女の自宅の話である。

「公転周期」という妙なタイトルのついた(その意味は読んでからのお楽しみ)一章で、中学生のジンスクはまったく日が差さない我が家への苦情を、まるで深刻ぶらずに語る。電気をつけなければ真っ暗、換気ができないから食物の匂いが充満、湿気がひどく洗濯物は乾かない… 彼女の淡々と語る口調の端々に、中学生らしからぬ諦念と淡い夢が漏れてくると、その寄る辺なさに思わずため息が出る。

ただし、この作品に登場する女性陣の多くは不遇に負けっぱなしにならない、たくましさを持っている。それは必ずしも気力に満ち溢れているからではない。凡庸な才覚と精神力で折れそうになるけれども、誰かが支えてくれるという構図がたいてい背景にある。作者チョ・ナムジュのメッセージはその辺にあるのかもしれない。

9歳から69歳まで60人余りの女性に筆者がインタヴューした記録をもとに、27人の女性ばかりを描いたのがこの作品だ。デモや抗議行動に触れた場面も多く、朴槿恵退陣のきっかけになった運動を韓国女性の側からとらえている視線が新鮮だ。

そのなかのひとつ「また巡り逢えた世界」の中の一シーンを紹介したい。時は2016年の夏、舞台は韓国きっての名門梨花女子大、朴大統領側近の娘の不正入学疑惑で総長に退陣を求める運動が高まる。そのきっかけとなるデモに参加し、キャンパスで座り込みをしているキム・ジョンヨンの手記だ。座り込み学生数150に対して1600人余りの警官隊導入。ごぼう抜きにされる彼女ら。この時の描写に膝を打たずにはいられない。

「私はそれでも軽傷だった。多くの学生が抵抗する力を奪われ、転んだり打ちつけられたりして痣を作り、骨折した。ガラスの破片が突き刺さった人もいた。だが、私をいちばん苦しめたのは、あの顔つきだ。引きずり出されていく教え子を、腕組して眺める教授たちの平然とした顔つき、何事もないかのように仲間内で笑いあい、話に花を咲かせていた警察官の顔つき、そして、そのあまたの警察権力を送り込んだ、見えない誰かの顔つき。」

これと同じ教員たちの顔つきを見たい方は、明治公園から渋谷宮下公園辺りまで行
進するデモ隊に紛れ込んでみたらどうだろうか。途中で通過する大学正門のあちら
側の安全地帯に、寸分たがわぬ無感覚な顔立ちが並んでいるはずである。日韓はこ
んなところにも同士がいる。やっぱり仲間だ。

むさしまる