「野生の思考――西アフリカの音の文化/北米先住民ホピ、ナバホの宇宙論」

講師:杜こなて、青木やよひ、北沢方邦

初日は、作曲家杜こなて講師による西アフリカの音の文化について、映像と音響を駆使した、明解な語り口のレクチャーが展開された。おどろくほど多彩な、しかも西洋的楽器分類を無化するような複合的楽器を使って形作られる音。じつに音楽的でありながら「音楽」ではない音の連なり。そして、各部落に固有の微妙に異なる音色とリズム。

この“音の共同体”のなかでもっとも重要な役割を果たすのが太鼓である。ともすれば原始的心性を表出する楽器と安易に括られかねない太鼓は、その実きわめて複雑な表現力をもつ。太鼓の音はイメージではなく、合い言葉、太鼓言葉だという。

講義を締めくくったのは講師自身が作曲した「高慢ちきな娘」(アフリカの民話に取材とのこと)のヴィデオ映像だが、その太鼓の鼓動には、わたしたちの奥底にしまいこまれた、はるかな「ことば」の響きがした。

2日目は、北沢方邦・青木やよひ講師による北米先住民ホピ・ナバホの宇宙論が、これら部族の歴史と現状を概観しつつ展開された。

レヴィ=ストロースの提起した野生の思考をさらに問題化する視座、すなわち、神話的思考と科学的思考をあわせ持った「野生の思考」という理論的視座から、祭祀や儀礼、社会組織、農業技術など具体的な生活空間に宇宙論が読み取られてゆく。

スライドを使っておこなわれた講義は、現地での体験に裏打ちされ、きわめて説得的であった。

それにしても、講義全体を通して、人類学や民俗学によくある、文字をもつ観察者とそうでない被観察者との非対称な力関係が感じられないのは、いっそすがすがしい。おそらくそれは、講師自身が肉体化を目ざす宇宙論的対称性と、かの地のそれとが響きあっているからに違いない。(片桐)