愛の本質を問う――『愛と哀しみの果て』(原題『アフリカの日々』)


彼はサファリにも蓄音機を持参した。
3丁の銃と1ヶ月分の食糧。
そしてモーツァルトを。

映画の冒頭、いまは年老いた主人公が、過去を回想する。私は彼女のこの言葉で、観る前から映画に没入することになった。猛獣が駆け回るアフリカの大地とモーツァルト。幻想的な風景のなかにたたずむ、この羨望抑えがたい男とは、どのような存在なのか。背景に流れる音楽は、モーツァルトの『クラリネット協奏曲』である。

とはいえ、『愛と哀しみの果て』と題するこの映画を、録画しようかするまいか、迷ったことを白状しなければならない。あまりにベタなタイトルに、敬遠の気持ちがあったのだ。どこかで観たことがあるに違いないとも思った。原題は『Out of Africa』。「アフリカから」あるいは「アフリカの日々」とでも訳せるか。とにかくアフリカこそがキーワードで、この言葉をはずしたタイトルはありえないと思うのだが。

アフリカは、主人公カレンにとって、デンマークからの逃避の地であり、企業の場所であり、何よりも、デニスとの出逢いの大地であった。発見と再生と愛、そして挫折。人生のすべてがあった、といっても過言ではないだろう。

裕福な家の娘カレンは、許嫁にも裏切られて、デンマークに居場所を失っていた。とにかくここから脱出したい、という一念。とりわけ好きでもないスウェーデンの貴族、それも貧乏貴族のブロルと結婚しようとしたのは、逃避のためであった。彼女は、ブロルの待つ、英領東アフリカ(のちのケニア)に旅立つ。時は1913年、第一次世界大戦前夜である。

カレンは農場を経営するという目的で伯母から資金を得ていた。しかし夫は経営には興味を示さない。結局、女手ひとつで農場をやりくりするはめになる。もちろん、彼女にとってははじめての企業である。ここの描写は、労働力である現地のマサイ族とのやりとりも含めて、興味深い。白人がインディアンに対してとったアメリカでのやり方とは異なり、現地の風習などを尊重する。カレンは有能な経営者である。

第一次世界大戦がヨーロッパだけで戦われていたのではない、ということをこの映画ではじめて知った。アフリカでも各地で戦闘が行われており、映画では東アフリカがその舞台となっている。第一次世界大戦前後の、政治的・社会的背景もきちんと描いていることも、この映画の優れたところである。

さて、モーツァルトを愛した自由人、デニスはハンターである。彼は、ヨーロッパの価値観よりも、広大な土地で牧畜生活を営むマサイ族のアフリカを愛していた。自由で素朴なアフリカを。そんなデニスに、カレンは惹かれていく。

アフリカの雄大な自然を背景にしたふたりの愛の顛末は、淡々と描かれて、しかし説得力がある。互いが好意を抱きながら、微妙なところですれ違う。言葉と行為が、思いとは異なる結果を生む。その繰り返しが、深い愛を育むことになるのだが。愛とは不思議なものである。

深く愛しあいながらも、やがてふたりに別離が訪れる。カレンは、デニスの自由に異をとなえる。静かなふたりの生活がほしいのだった。デニスは批判する、物や人までも所有したいという彼女の欲望を。結婚はただ1枚の紙切れに過ぎない、彼女への愛を増すことにはならない、と。

ふたりはともに港を求めていたはずである。人は大海のなかで生きざるをえない。帰るべき港が必要である。港は必ずしも実際の空間ではない。男女の愛はもっとも心が癒される港であろう。しかしその港のありようが、カレンとデニスでは異なっていた。これは男と女の違いではない。人にはそれぞれの港があるのだ。その港をもとに、さらに豊かな港をともに築いていく。それこそが、愛の営みというものだろう。彼らにはそれができなかった。

カレンの農場は、紆余曲折を経ながらも、順調に行きつつあった。しかし突然大火に見舞われる。財産すべてを失った彼女はデンマークに去ることになる。それを見送るはずのデニスの、飛行機事故での突然の死。なんとも悲しい幕切れである。しかしこのアフリカでのさまざまな体験こそが、のちの作家、カレン・ブリクセン(英語版ペンネーム=アイザック・ディネーセン)を生むことになった。デンマーク映画の傑作『バベットの晩餐会』の原作者でもある。

雄大なアフリカの風景、そこを行き交う猛獣たち、そして、静かに心に染み入る音楽。すべてが傑作に値する映画であった。

2022年8月22日 NHKBSプレミアムで放映

1985年アメリカ映画
監督:シドニー・ポラック
脚本:カート・リュードック
原作:アイザック・ディネーセン、ジュディス・サーマン、エロール・トルビゼンスキー
音楽:ジョン・バリー
撮影:デヴィッド・ワトキン
出演:メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード、クラウス・マリア・ブランダウアー、マイケル・キッチン、マリック・ボーウェンズ

2022年9月6日 j.mosa