人生を俯瞰する音楽――シューベルトのピアノ三重奏曲

シューベルトのピアノ三重奏曲を取りあげる演奏会はそんなに多くはない。ある演奏会でたまたまもらったチラシの1枚が、今回のものだった。晩年の3曲が聴ける! しかも奏者は、活躍華々しい若手の3人。これは聴かないと、とさっそくチケットを手に入れたのだった。

期待に違わぬ、いや、それ以上の演奏だったといっていいだろう。シューベルトの若き晩年が彷彿とされ、思わず目頭が熱くなってしまった。演奏された3曲は、いずれもシューベルトが亡くなる前年、1827年に作曲されている。亡くなったのが31歳であるゆえ、30歳の作品ということになる。

奏者それぞれ、そのシューベルトの年齢に近い。生年を調べると、ヴァイオリンの郷古廉が1993年、チェロの横坂源が1986年、ピアノの北村朋幹が1991年である。彼らは、同世代の作曲家の早すぎる晩年を、どのように追体験したのだろうか?

「ノットゥルノ」の最初の数小節。3つの楽器が、どこかに吸い込まれていくような、夢幻的な響きを奏でる。深々と、優しく、夢を見るような。ああ、シューベルトの音楽だと、すぐにその世界に入りこんだのだった。

命の輝きに満ちた第1番を終えての休憩のあと、長大な第2番が始まる。この曲こそ、当夜の最大の聴きものであった。第1楽章から第4楽章まで、まるでシューベルトの人生をたどっているかのような印象を受けた。3人の奏者はおそらく、作曲家の、生への焦がれるような思いを、深く共有したのに違いない。

軽やかなピアノにのって、明るく曲がはじまる。力強さにも満ちて、青春の息吹といっていい。しかし、第2楽章に入ると、曲調が一変する。チェロの、哀愁に彩られた美しいメロディ。それはピアノに受け継がれて、生きることの容易なさを表現しているかのようだ。死を目前した、シューベルトの絶望の思いなのか。それが、これほど美しいとは! シューベルトの緩徐楽章は、モーツァルトのそれと並んで、私が何よりも愛する音楽である。

第3楽章はまことに淡々として、絶望感が癒やされる。生活の歌かもしれない。そして、終楽章は複雑である。シューベルトは出版に際して、大幅なカットを指示したらしい。曲の長大さを懸念してのことだろうが、現在一般的に演奏される第4楽章は、それでも十分に長い。しかしながら当夜は、提示部の反復も含めて、初演時のすべてが演奏された。

第4楽章は、シューベルトの人生を凝縮しているかのようだ。軽やかなロココ風があるかと思えば、力強く希望にも満ちている。ところが、第2楽章の哀愁に満ちたメロディが、幾度も顔を出す。それらが複雑に絡みあい、繰り返され、ひとつの大きな宇宙を構成する。シューベルトがこの曲にこめた原初の思いが、当夜の演奏を通して、見事に表現されたといえよう。

郷古、横坂、北村の3人は、それぞれの音楽にじっくりと耳を傾けていた。室内楽の醍醐味を味わった思いである。これからも、このメンバーのトリオを聴くことができれば、大変に嬉しい。

2022年9月28日 於いて浜離宮朝日ホール

ピアノ三重奏曲変ホ長調D897「ノットゥルノ」
ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調D898
ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調D929

ヴァイオリン:郷古廉
チェロ:横坂源
ピアノ:北村朋幹

2022年10月5日 j.mosa