映画音楽と現代音楽のはざまで――『モリコーネ 映画が恋した音楽家』


映画を観るのに、選択の基準といえば監督である。いまなら、濱口竜介監督の新作が上映されたなら、観てみようとなるかもしれない。成瀬巳喜男監督がもし存命なら、その新作は必ず観に行くはず。そして次の基準は、あえていえば脚本家や俳優だが、彼らの名前を探して映画を観ることはまずない。

まして、映画の音楽担当が誰かなど、ほとんど考えたことがない。しかしながら、今回はじめて、音楽を目当てに映画を観た。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』である。音楽はエンニオ・モリコーネ。主役のロバート・デ・ニーロが、中国人が営む「麻薬窟」に、気だるげに入っていく。そこに、切なく、懐かしい音楽が流れる。

このシーンは、この映画のテーマ曲をバックに流して撮影したのだという。デ・ニーロもはじめての経験だったらしい。最後のカットにもなるこのシーンは、3つの時代を行き来する複雑なこの映画を象徴する重要な場面である。監督のセルジオ・レオーネの思いも強かったのだろう。彼はそれほどに、モリコーネの音楽を尊重していたことになる。

映画と音楽の関係を改めて考えるきっかけとなったのは、『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を観たからである。洋画邦画を問わず、映画音楽の第一人者といえばモリコーネだという。しかし私は、『荒野の用心棒』と『ニュー・シネマ・パラダイス』くらいしかモリコーネとは結びついていなかった。前者は、クリント・イーストウッドのアウトローぶりと、テンポのいいギターに伴奏された口笛のメロディが一体になって、いまでも耳にこびりついている。

ところが、私が観た印象深い映画のいくつかは、モリコーネが音楽を担当していた。当該映画が取り上げていた作品だけでも、次のようになる。『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ、2016年)、『海の上のピアニスト』(ジュゼッペ・トルナトーレ、1999年)、『ミッション』(ローランド・ジョフィ、1987年)、『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ、1987年)、『1900年』(ベルナルド・ベルトルッチ、1982年)、『ウエスタン』(セルジオ・レオーネ、1968年)、『アルジェの戦い』(ジッロ・ポンテコルヴォ、1966年)。

私は、それらの映画のなかの音楽を、『荒野の用心棒』のそれのようには記憶していなかった。映画音楽とは、ある意味でそういうものなのかもしれない。映像を印象づけても、邪魔になってはいけないのである。この映画に登場したそうそうたる監督たちは、モリコーネに感謝の言葉を捧げている。音楽は、彼らのつくった映画を名作たらしめている、大きな要素であるのだ。

生涯で500本以上もの映画に携わりながら、そして世界的な名声を得ながら、モリコーネは映画音楽をつくることにある種の後ろめたさを感じていた。彼は名門、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で、ゴッフレート・ペトラッシのもとで学んでいる。若いころは、ケージばりの現代音楽を作曲している。その彼が、現代音楽と映画音楽のはざまで苦悩した姿はとても印象深い。

「現代音楽」の定義は難しいが、12音技法を創始したシェーンベルクからはじまる、という考え方は納得できる。音の階層性を否定して、12音を平等に扱った。ある意味で、音を民主化したともいえる。その結果、音楽は困難な状況に陥った。シェーンベルクの弟子のベルクが作曲した『ヴォツェック』と『ルル』は、オペラの極北である。耳への快さは微塵もないし、心は不安に駆り立てられる。その要素こそ現代である、といえなくはないのだが。

モリコーネは、映画音楽をつくりながら、常に現代音楽への可能性を探っていたのだ。師のペトラッシも、それを期待していた。芸術音楽と大衆音楽の相剋。モリコーネの懊悩はしかし、映画音楽の振り幅を大きく、深く、拡大したのだった。そして、彼のお陰で、数えきれない映画の名作が生まれた。

この映画の編集は見事。多くの登場人物と映像・音楽を巧みに組み合わせて、長丁場をまったく飽きさせない。

2023年1月23日 於いてTOHOシネマズシャンテ

2021年イタリア映画
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影:ファビオ・ザマリオン、ジャンカルロ・レッジェーリ
編集:マッシモ・クアッリア、アナリサ・スキラッチ

2023年2月1日 j.mosa