ヴェネツィアで華開いたオペラ――カヴァッリの『ラ・カリスト』
日本のオペラ界にも少しずつ地殻変動が生じてきているのか、このところバロックオペラを観る機会が増えてきた。とても嬉しいことだが、今回の上演が埼玉県の川口でのことであるように、すべて都心から離れた会場であることは、少し残念な気がする。ヘンデルの『シッラ』は横浜だし、リュリの『アルミード』は王子だった。それも上演回数は2回きり。それぞれが極めて上質の舞台であっただけに、いかにももったいない思いである。
さて、今回のオペラ『ラ・カリスト』の作曲者、フランチェスコ・カヴァッリ(1602-76)は、リュリよりもさらに30年前に生まれている。オペラ史上最初の大作曲家といわれるモンテヴェルディ(1567-1643)とも、その晩年にともに仕事をしているという。いずれにしても、オペラ草創期の作曲家と考えていいのだろう。このオペラを観るまで、私には未知の作曲家だった。
フィレンツェの宮廷で生まれたオペラが、商業都市ヴェネツィアで華開いた。宮廷芸術から商業娯楽へと変化したと、加藤浩子さんは『オペラの歴史』(平凡社新書)で述べている。この本によると、17世紀の末までに、ヴェネツィアという狭い島に16の劇場があり、80人以上の作曲家が、400ものオペラを発表したという。想像を超えるヴェネツィアの賑わいぶりである。
『ラ・カリスト』は、ギリシア神話やローマ神話を下敷きにしながら、反獣神やら森の精霊やらユーモアをこめた者たちを登場させて、観客の笑いをとっている。また、観客に語りかけて反応をみたりして、会場との一体感を演出していた。お高くとまったオペラではありませんよ、というメッセージであり、当時の上演形態にも近いものなのだろう。いかにも「商業娯楽」である。
神々の王ジョーヴェは美人に目がない女好きだし、妻のジュノーネは嫉妬に狂う平凡な女に過ぎない。夫の浮気の相手カリストを怒りに任せて熊に変えてしまう。カリストはジョーヴェに嵌められた犠牲者であるにもかかわらず。
そして興味深いのは、カリストのおちた罠である。ジョーヴェは娘のディアナに変身してカリストに近づく。カリストはディアナの侍女であり、主人に憧れをもっていた。難なくジョーヴェの策略にかかる。これは同性愛そのものを現している。あの時代にLGBTQがオペラのテーマになるなど、驚き以外はない。もっともLGBTQは人口の10%を超えるという説もあるから、普通の性向ではあるのだが。
またディアナは牧童といい仲であったりして、天上の世界とはいえ、いかにも人間臭い内容に満ちている。このような内容なら、貴族が有していたギリシア・ローマ神話の教養などなくとも、十分オペラを楽しめたはずである。
指揮の濱田は、オーケストレーションの欠損部分を、カヴァッリの他の作品や同時代の作曲家の作品を流用して補ったという。そして、見事な音楽を聴かせてくれた。快いリズムに乗り、美しい愛のメロディに心奪われていると、これが400年近く前の作品だとはどうしても思えない。この時代の、未知の作品がさらに掘り起こされることを切に祈りたい。
2023年2月4日 於いて川口文化センター・リリア音楽ホール
指揮・コルネット:濱田芳通
演出:中村敬一
カリスト/永遠:中山美紀
ジョーヴェ:坂下忠弘
メルクリオ:中嶋克彦
ディアナ/運命/天の声Ⅰ:中川詩歩
エンディミオーネ:新川壮人
ジュノーネ/天の声Ⅱ:野間愛
パーネ/自然/天の声Ⅲ:田尻健
リンフェア:眞弓創一
シルヴァーノ/天の声Ⅳ:松井永太郎
サティリーノ/フーリアⅡ:彌勒忠史
フーリアⅠ:本多唯那
熊:東原祐弥
2023年2月20日 j.mosa