3つの恋はなぜ挫折をしたのか――オッフェンバック『ホフマン物語』
20年をへだてて新国立劇場の『ホフマン物語』を観た。20年前と同じプロダクションで、幻想と蛍光色の現代美術がない交ぜになった舞台は、いま観ても十分に楽しめた。メモを繰ってみると、2003年12月5日に観劇していて、「メゾが深い声で素晴らしい」と簡単に記されている。あとで知ったことだが、このメゾこそ、いまや世界的に活躍しているエリーナ・ガランチャだったのだ。当時26歳。まだ日本では無名のメゾソプラノであった。
キャストがどのように決められるのかは知らないけれど、海外からどの歌手を呼んでくるかは、劇場の腕の見せどころである。おそらく海外にもネットワークが張り巡らされているのだろう。日本の我々には知ることのない、将来有望な歌手を思い切ってキャスティングしてほしいものである。もちろん私たちにも鑑賞力が試される。
今回は、ホフマンと4人の悪魔(リンドルフ、コッペリウス、ミラクル、ダペルトゥットをひとり4役)以外はすべて日本人の歌手で、それぞれが健闘した。オランピアの超高声を歌い切った安井陽子、しっとりとアントニアを表現した木下美穂子、底の知れない娼婦ジュリエッタの大隅智佳子。とりわけ、木下美穂子の抒情性豊かな歌声が心に残っている。ニクラウスの小林由佳は、どうしても20年前のガランチャが思い出されて、ハンディを負ってしまった。
全幕を通して出ずっぱりのホフマン、レオナルド・カパルボと、悪魔エギルス・シリンスも健闘。とくにホフマンを歌い切るのは大変である。トリスタンとも比べられるくらい、体力と技術が必要とされる。恋愛における、男の内面をいかに表現するか、歌手は実力を問われる。
今回のプロダクションでは、最後にホフマンはピストル自殺を遂げる。このような終幕は他では観たことはないのだが、自殺することによって、ホフマンの愛における敗北が明瞭になった。ではなぜ、ホフマンは自らの命を絶たねばならなかったのか。
ホフマンは、オランピア、アントニア、ジュリエッタという、性格をまったく異にする3人の女性と恋に落ちる。そして、それらすべてで破局を迎える。愛の勝利を讃えるオペラが圧倒的に多いなか(悲劇に終わったとしても)、その挫折で幕を閉じる演目は少ない。
このオペラの核心は第3幕アントニアにある。その幕開けのヴァイオリン・ソロの、幻想的でなんと美しいことか。4階真ん中の私の席には、目の前で奏でられているかのように聴こえてくる。音楽の充実が際立っているのも第3幕であるが、物語の中心も第3幕である。ホフマンの躓きが明確になっている。
ホフマンは、アントニアの心の叫びを、理解できなかった。彼女の、歌うことへの憧れと情熱。それは、死をもいとわないほど苛烈なものであった。しかし、歌えば、母親のように、命をおとしてしまう。悪魔ミラクル博士は、アントニアの情熱に火をつける。父親は、そして、ホフマンも、アントニアに歌うことを禁じる。それは消極的な行為でしかなく、勝負は明らかである。
ホフマンを歌ったカパルボは、CREA WEBのインタビューにのなかで、「ホフマンは一途に愛されることを願っている」と述べている。自分はそのように歌い、演じているのだと。その意見に賛成である。ホフマンの愛の本質は、愛することよりも愛されることにあった。
さらに、ニクラウスという親友が側にいながら、ふたりの間に会話が成り立たない。この世に真実というものが存在しない以上、対話こそが現実を乗り超える唯一の手段である。ホフマンは、敗北すべく敗北したのである。
指揮のマルコ・レトーニャと東響も健闘した。とりわけ第3幕のアントニアの心の葛藤は、音楽でこそ表現可能だと納得させられた。『ホフマン物語』の謎を改めて考える機会を与えてくれたこともあり、総じて印象深い舞台となった。
2023年3月21日 於いて新国立劇場
指揮:マルコ・レトーニャ
演出・美術・照明:フィリップ・アルロー
ホフマン:レオナルド・カパルボ
ニクラウス/ミューズ:小林由佳
オランピア:安井陽子
アントニア:木下美穂子
ジュリエッタ:大隅智佳子
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:エギルス・シリンス
アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ:青地英幸
ルーテル/クレスペル:伊藤貴之
ヘルマン:安東玄人
ナタナエル:村上敏明
スパランツァーニ:晴 雅彦
シュレーミル:須藤慎吾
アントニアの母の声/ステッラ:谷口睦美
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
2023年4月2日 j.mosa