残された人生をどう生きるか――マーティン・マクドナー『イニシェリン島の精霊』

この映画の魅力のひとつは、アイルランドのある島の風土である。タイトルのイニシェリン島という島は存在しない。撮影のほとんどは、アイルランド西部、ゴールウェイ湾入口のイニシュモア島で行われたらしい。石灰岩風土のせいか、緑はまずない。石と岩ばかりの荒涼した光景が、曇天の下に広がる。畑も馬車が通る道も、周りを石が荒々しく積み上げられている。

映画の舞台は1923年、つまりちょうど100年前の話なのだが、おそらくイニシュモア島のその光景は、何百年もの間、それほどの変化を見せなかったのではないだろうか。そんな原風景のなかで人間の行為を眺めると、人間の愚かさやら儚さやらが、いかにも自然に浮かび上がってくるのだった。

主人公パードリックは、気のいい、誰からも好かれる平凡な若者である。その無二の親友がコルムで、彼はもう初老といっていい。ふたりはいつも島のパブに出かけては、たわいもない時間を過ごしていた。ところがある日、パードリックがコルムを誘うため彼の家に寄ると、コルムは行くことを拒否する。そしてこの日を境に、コルムはパードリックを拒絶し続ける。

このコルムの拒絶をめぐっての、島民を巻きこんでの騒動はユーモアに溢れている。鬱病ではないか、ホモが原因かもなど、コルムの思惑を超えた騒ぎになる。パードリックにはとんと思いあたることがないし、コルムもパードリックに悪いことは何もないと言う。それではなぜ、コルムはパードリックを拒否したのか。それも、これ以上関係を持とうとするなら、自分の指を1本ずつ切り落とすとまでの強い意志を持って。

紆余曲折の末明らかになるのは、コルムの、残された年月への思いである。自分の生は限られている。このまま楽しく時間を費やしていていいのか。何かを成し遂げるために人生はあるのではないか。フィドル(アイルランドに於けるヴァイオリン)をよく奏するコルムは、その楽器のために曲をつくりたいと思ったのだった。モーツァルトは死んで100年を超えるが、作品は残り、いまだ人々に愛されている。残された人生は短い、しかし芸術は永遠である、というわけだ。

平凡な毎日を楽しんでいるパードリックにコルムの気持ちが理解できるわけはない。そして、酒場での「対決」の日、パードリックが無意識に持ち出した理念が「優しさ」である。芸術なんかより、人生にはもっと大事なものがある、と。自らの妹の名前を挙げ、「お前はシボーンの優しさを理解できないのか」と迫る。美しく優しいシボーンは、コルムの理解者でもあった。コルムは答える、シボーンの優しさも、50年も経てば忘れられる、と。

ふたつの考えが対立するこの寓話的映画は、過酷な風土と素朴な島民たちを背景にして、確かなリアリティを持っている。島からは、対岸のアイルランド本島での内戦の火が望見される。そこでは、政府軍とIRA(アイルランド共和軍)が、「アイルランド自由国」の地位をめぐって戦いを繰り広げている。

私は、指を切り落としてまで自らの立場を守るコルムより、素朴なパードリックを愛する者だが、歳を重ねるにつれて、残された年月を考えるようになってきている。さて彼らは、広くもないこのイニシェリン島で、これからどういう関係を続けていくのだろうか。余韻を残すラストである。

2023年5月4日 於いて早稲田松竹

2022年 アイルランド・イギリス・アメリカ映画
監督:マーティン・マクドナー
脚本:マーティン・マクドナー
出演者:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
音楽:カーター・バーウェル
撮影:ベン・デイヴィス
編集:ミッケル・E・G・ニルソン

2023年5月8日 j.mosa