イタリアアルプスの大自然、そして人生――映画『帰れない山』
映画には、どうしても映画館で観なければいけない作品がある。この映画もそうで、自然、しかも、イタリアアルプスの大自然が舞台だからだ。自然の雄大さ、そして、過酷さは、劇場の大画面でないと体験できない。とりわけ山好きは、テレビなどで観てはならない。
主人公ピエトロは、放浪中のヒマラヤで、ある老人から問いかけられる。世界は8つの山とそれを取り巻く海、そしてそれらの真ん中に聳え立つ須弥山からなっている。8つの山を経巡った者と、須弥山に登った者と、どちらが多くのものを学んだか、と。
ピエトロは、30歳を過ぎても、自らの道を求めて世界をさまよっていた。いっぽう友人のブルーノは、山を下りることなく、牧畜で生業(なりわい)を成り立たせていた。ピエトロは8つの山を巡り、ブルーノは須弥山に登っている、とふたりは納得したのだったが。
山で生まれ山で育ったブルーノと、トリノという大都会で育ったピエトロは、11歳の頃に、アルプスの山間の村グラーナで出会う。登山好きのピエトロの父親が借りている山小屋でのことである。ふたりが飛び跳ねるように遊び回るアルプスの光景が、眩しく美しい。
ブルーノは、叔父夫婦の営む牧場を手伝っている。父親は出稼ぎのため、石工として山を下りている。ブルーノの将来を心配したピエトロの両親は、彼をトリノに呼び、高校に進学させようとする。しかしブルーノの父親は反対し、自らと同じ道を歩ませるのだった。ふたりの人生は大きく分かれることになる。
15年の歳月を経て、ふたりは再会する。亡くなったピエトロの父親が購入していたアルプス山中の山小屋を再建するために。このシーンは、映画の山場である。廃墟となっている小屋を解体して、新しい小屋を建てるのだが、その過程を忠実に再現する。解体作業も一苦労ながら、かなりの標高ゆえ、資材の運搬は馬に頼らざるをえない。そして一つひとつ石を積み上げ、大木を削り、材木を組み立てていく。夏の強い太陽、風、また雨。大自然のなかのふたりの静かな奮闘は、観ごたえ十分である。
この過程で、ふたりの友情は復活する。石工として出稼ぎをしていたブルーノは、叔父の牧場を再建するために山に戻る。山こそが自分が生きる場所だと。ピエトロはまた放浪の旅を続けながらも、ヒマラヤの素朴な民に共感を覚える。そしてここで、8つの山と須弥山の話が登場する。ブルーノは己の道を見つけ須弥山に、ピエトロは8つの山の旅を続ける。映画は、ここで終わっても、それほどの違和感はない。しかし、そうはならない。
ブルーノは結婚して子どもも生まれる。成長するに従い教育費なども必要になる。牧場再建のために借りた金も返さなければならない。つまり現金が必要なのである。搾乳も手搾りにこだわるなどのブルーノのやり方では、生活が成り立たない。妻は子どもを連れてトリノの実家に帰ってしまう。この映画は、残酷なまでに、自然のなかの素朴な生活の内実を描写する。
「俺は山でしか生きていけない」と、ブルーノはピエトロとふたりでつくった山小屋にこもるが、そこで大雪の悲劇に見舞われる。ピエトロには帰れない山となってしまった。
アルプスとトリノ、大自然と大都市を対比しつつ、そのいずれにも冷静な眼を向けているのが、この映画の特徴である。しかし、イタリアアルプスの美しさをここまで表現している以上、やはりこれは、自然讃歌の映画である。そして観る者は、大自然に身を委ねながら、自らの生き方を省みることになるだろう。
2023年5月15日 於いてシネスイッチ銀座
2022年イタリア・ベルギー・フランス映画
監督・脚本:フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ
原作:パオロ・コニェッティ『帰れない山』
出演:ルカ・マリネッリ、アレッサンドロ・ボルギ、フィリッポ・ティーミ、エレナ・リエッティ、エリザベッタ・マッズッロ
音楽:ダニエル・ノーグレン
撮影:ルーベン・インペンス
編集:ニコ・ルーネン
2023年6月1日 j.mosa