歌で満たされたコンサート――プレトニョフ指揮の北欧音楽

ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク。北欧の国々は私の興味を惹きつけてやまない。人々の幸福度を調べると常に上位に位置するし、教育の先進性の観点からも注目に値する。シチズンシップ教育、つまり批判的市民をつくりあげるという明確な方向性をもっている。学校は日本のように画一的ではなく、それこそ百花繚乱の趣がある。

北欧諸国は、再生可能エネルギー先進国である。2022年度のその比率は、ノルウェー98%、スウェーデン86%、デンマーク81%、フィンランド45%、ちなみに日本は22%(自然エネルギー財団作成他)。いかなる社会をつくっていくかについても明確な考え方がある。

文化に目を向けると、スウェーデンのイングマール・ベルイマン、フィンランドのアキ・カウリスマキ、デンマークのラース・フォン・トリアーなど、私の好きな映画監督がいる。それぞれ映画の趣は異なるものの、独特の暗い抒情性をもっている。淡々と冷静に、かといって時に熱く、不思議な映画世界である。そして、人間の根源に迫る強い意思が常に感じられる。

ところが、北欧の音楽についての知識は、残念ながらほとんどないというに等しい。我が家のCDのうち北欧音楽といえば、フィンランドのジャン・シベリウス(1865―1957)とノルウェーのエドヴァルド・グリーグ(1843―1907)の作品につきてしまう。前者でいえば交響曲のいくつかとヴァイオリン協奏曲、後者ではピアノ協奏曲、抒情小曲集、何曲かのヴァイオリンソナタである。あと、デンマークのカール・ニールセン(1865―1931)の『交響曲第4番〈不滅〉』が1枚あるのみ。

貧弱な北欧音楽のコレクションのなかで一際輝いているのが、シベリウスの『交響曲第2番Op.43』とグリーグの『ピアノ協奏曲Op.16』である。この2曲は、若いころから繰り返し聴いてきた。そして今回、東フィルの定期演奏会で聴いてみようという気になったのは、ミハイル・プレトニョフ(1957―)が指揮をするという情報を得たからである。私は、彼の指揮するベートーヴェンの交響曲をテレビで観て以来、いつか実演を聴きたいと思っていた。

2009年7月の放映で、演目は第7番と第5番。オーケストラは手勢のロシア・ナショナル管弦楽団である。録画の映像を久しぶりに視聴したが、とりわけ第7番が名演。第2楽章葬送行進曲のどこまでも深い悲痛、対して、第4楽章の畳みかけるような躍動感。目は細部まで行き届いて、彫琢の極みである。北欧音楽でもっともポピュラーなふたつの曲を、彼が指揮をしたらいったいどうなるだろう、という期待があった。

プレトニョフの音楽の根幹は「歌」だなぁ、とつくづく思った。シベリウスにしてもグリーグにしても、彼らの音楽には歌があふれている。素朴で穏やかな民謡風の歌である。土俗的で粘っこいスラブの歌とは異なる。ロシア人であるプレトニョフは、北欧の歌に、ロシア的味付けを施したのだろうか。シンコペーションのリズムに乗って、快く、軽やかに、ときに重厚に、そして官能的に歌うのだった。

シベリウスの『交響曲第2番』が、やはり当夜第一の聴きどころだった。とりわけ明と暗の主題が拮抗しながら重奏される終盤は、圧倒的な迫力。短調の歌が大きな渦に飲みこまれながらのフィナーレには、思わず涙がこぼれる。一期一会の感を深くする。

プレトニョフは、いまスイスのジュネーブに住んでいる。ロシアのウクライナ侵略に批判的だったため、自ら設立したロシア・ナショナル管弦楽団の監督の座を追われたのだという。しかし彼は再び新しいオーケストラを結成した。ラフマニノフ・インターナショナル管弦楽団という。益々の活躍を祈りたい。

2024年1月28日 於いてBunkamura オーチャードホール

指揮:ミハイル・プレトニョフ

シベリウス:組曲「カレリア」Op.11
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op.16
シベリウス:交響曲第2番ニ長調Op.43

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

2024年2月1日 j.mosa