繊細で絶妙なヘテロフォニー――能『松風』再び

橋掛りの奥の方から、対話を交わしているような謡の声が聴こえる。松風・村雨姉妹の登場である。彼女たちは汐汲みの帰りだが、まだ姿は見えない。微妙に重なりあうふたりの声。私の待ち望んでいた女声の二重唱が、早くもはじまろうとしている。

3年前、私は坂井同門会の公演で、はじめて『松風』を観た。それまでいくつも能の演目は鑑賞していたのだが、文楽のようには素直に入っていけなかった。所作にも約束事が多いし、謡にしても、あの声の強さにはいささか辟易していた。不自然ではないか、と。『松風』は、そんな私の能への偏見を吹き飛ばしてくれたのだった。

亡き恋人、在原行平(業平の兄)への想いを断ち切れない松風の妄執と、それを諌めようとしながらも、姉の想いの強さに巻きこまれ惑乱する村雨。現世を超越したふたりの二重唱に、まったく圧倒された。嬉しいことに今回の公演では、その体験が十分に再現されることになった。

松風と村雨、この姉妹の歌は、オペラ『ノルマ』の、ノルマとアダルジーザの二重唱を思い起こさせる。彼女たちは巫女で、長とその配下の関係にある。姉妹ではないけれど、女性同士の繋がりの強さという点では、松風・村雨に共通する。「シスターフッド」という、現代的な言葉も当てはまるかもしれない。

ノルマとアダルジーザの二重唱は、ベルカントオペラを代表するベッリーニの、とびきり美しい曲である。互いの恋人が同じ男とは知らずに、ふたりは恋の喜びを歌いあう。ソプラノとメゾソプラノの音程の差を踏まえた絶妙のハーモニーで、心に沁み入る名曲である。

対して、松風と村雨の二重唱は、もちろん西欧流のハーモニーとはならない。同じ言葉、同じ節を歌いながら、ふたりの個性の差が、微妙な響きを醸し出す。ヘテロフォニーの見事な表現といえる。ヘテロフォニーとは、同じ旋律を複数の奏者が演奏するときに生じる、複雑微妙な音響現象のことで、民俗音楽ではよく聴くことができる。西欧音楽の相対化につとめた西村朗は、積極的にヘテロフォニーを用いた。

今回の席は脇正面。そこから見ると、演者の姿勢と舞う姿がはっきりと見てとれる。西欧のバレエとは異なり、動きは極めて少ない。足が床を離れることは稀である。にもかかわらず、その静かな舞は、空中を彷徨っているかのよう。この世を超越した存在を現すにはこの舞しかない、唯一のものだ、と実感させられる。

恋した人を想う狂おしい感情は、洋の東西を問わず、時代も問わず、普遍的なものだと思わずにはいられなかった。能世界の現代性が心に刻みこまれた、まことに素晴らしい舞台であった。

2024年2月21日 於いて国立能楽堂

松風:梅若紀彰
村雨:角当直隆
旅僧:殿田謙吉
須磨の浦人:高澤祐介

笛:赤井啓三
小鼓:幸正昭
大鼓:原岡一之

地謡:鷹尾雄紀、山崎友正、小田切亮磨、坂真太郎、内藤幸雄、鷲尾維教、山崎正道、鷹尾章弘

2024年2月29日 j.mosa