信仰は革命に抗しえたか?――プーランク『カルメル会修道女の対話』

1794年7月17日、16人のカルメル会修道女が断頭台の露と消えた。このオペラは、その歴史的事実をテーマとしている。主人公は侯爵令嬢のブランシュで、彼女は傷つきやすい繊細な女性である。革命は貴族を敵視する。その荒波から逃れるため、1789年、彼女はカルメル会修道院に入る。

カルメル会について、私は知ることは少ないが、作家の高橋たか子が信者であったという事実は頭のどこかにあった。彼女は『邪宗門』などの作者である高橋和巳の連れ合いで、夫の死(1971年、39歳)のあと、入信した。人間の内なる心を執拗に探究したその作品からも、カルメル会の一端は分かるような気がする。共同生活も会のひとつの特徴であり、ブランシュはカルメル会修道院に隠れ住んだのだ。

敬虔なカトリック信者であったというフランシス・プーランク(1899―1963)が、ベルナノスの台本に興味をもったのはよく分かる。革命を恐れる純朴な貴族の娘が、嵐のなかの修道院での経験を通して、信仰に目覚めるストーリーである。もちろん、単純な物語ではない。病におかされた修道院の院長は、死の恐怖にとらえられ、錯乱する。感情を抑えたオペラが、この場面だけは響きを拡大する。前島眞奈美の名演もあり、聴きごたえのあるシーンであった。

修道院長という、ひとりの人間の死への恐怖を詳らかに描いたゆえに、終幕の16人の殉教の場面は、いやでも説得力を持つ。神に支えられた死とはいえ、一人ひとりの心のなかには、大きな迷いがあったはずである。修道院から逃避しながら、16人目の殉教者となるべく戻ったブランシュの心のうちを、聴くものは理解する。

処刑の場面は圧巻であった。舞台中央のギロチンに向かって、一人ひとりが緩やかな坂を登っていく。最後にブランシュが姿を見せ、神に命を捧げる。音楽は残酷でありながら崇高である。

舞台は全幕を通じて簡素。しかし、物語の要点をキチンと押さえている。新国立劇場オペラ研修所の修了公演であったのだが、歌手、指揮、オーケストラ、演出、すべてが全力を出し切った、いい舞台であった。

音楽の響きは、R.シュトラウスのような後期ロマン主義の厚みはないし、シェーンベルクの12音技法とも遠い。かといって、ドビュッシーの印象派のミニマルな響きでもない。感情を刺激するようなプッチーニの扇情性はもちろんなく、抑制が効いて、透明な響きである。20世紀も後半につくられたこのオペラを、音楽史上どこに位置づければいいのだろう。イギリスのブリテンのオペラに共通するものがあるように思うのだが。

プーランクは、影響を受けた作曲家のひとりとして、ストラヴィンスキーを挙げている。たまたま私は、2月25日に、チョン・ミョンフンの名演で『春の祭典』を聴いたばかり。不協和音が多発する、原始的エネルギーに圧倒された。作風に於いておよそ対極に位置するように思うのだが、共通項は色彩感の豊かさだろうか。モーツァルトをもっとも敬愛するとも言っており、複雑極まるプーランクの音楽を、これから心して聴いてみようと思う。

2024年3月1日 於いて新国立劇場中劇場

指揮:ジョナサン・ストックハマー
演出:シュテファン・グレーグラー

ブランシュ:冨永春菜(第25期)
ド・ラ・フォルス侯爵:佐藤克彦(第24期)
騎士:城 宏憲(第10期修了)
マダム・ド・クロワシー:前島眞奈美(第24期)
マダム・リドワーヌ:大髙レナ(第24期)
マリー修道女長:大城みなみ(第24期)
コンスタンス修道女:渡邊美沙季(第26期)
ジャンヌ修道女:小林紗季子(第9期修了)
マチルド修道女:一條翠葉(第20期修了)
司祭:永尾渓一郎(第25期)

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱:武蔵野音楽大学

2024年3月20日 j.mosa