水が語る人間の歴史、そして未来――坂本龍一『TIME』

薄明かりの照明のもと、舞台には一面に水がひかれている。かすかな水の音。ぽとりぽとりと、雨が滴る音。静寂そのものの舞台は、深い森のなかなのか。

水の音は、この作品の作曲者、坂本龍一が採録したものにちがいない。彼は晩年、身の回りに聴くことができる音を、ときに録音した。街を歩きながら、自然のなかに分け入って。確かに世界は音に満ちている。人間の手が加えられていない音たち。それらの音は、作曲家のつくる音を超えて、彼の耳にどのように届いていたのだろう。

『TIME』は、坂本龍一の最後の舞台作品である。初演は2021年にオランダで上演された。14年に中咽頭がんを患い、20年には直腸がんが見つかっている坂本にとって、この作品の作曲は、死と隣りあわせの作業だったに違いない。この作品には、彼の死生観が反映されている。

「TIME」をタイトルにしたように、この作品のテーマは、時、時間、時代……である。採用されたテキストも、「夢十夜」(夏目漱石)、「邯鄲の夢」(唐の沈既済)、「胡蝶の夢」(宋の荘子)と、いずれも時間の流れを想起させる。

いかに栄華を極めようと、それははかない一瞬の夢、と「邯鄲の夢」は教える。私が蝶の夢を見ているのか、それとも蝶が私の夢を見ているのか。「胡蝶の夢」は、思考の自由を説いている話として有名である。しかし、自我の揺らぎを問うている話ともとれないことはない。自我は絶対ではありえない。蝶の羽ばたきに惑乱される。蝶が大切な存在であればなおのこと、自我は溶解する。

「夢十夜」。男は、水面に横たわる、瀕死の女性にめぐりあう。女は、私は死ぬと言いながら、顔には紅がさしている。死に至るとき、女は言う。「百年待っていてほしい」と。ひとりの女を百年待つ。いつか私の方を向いてくれるかも知れないと思いながら。騙されたかも知れないとも思いながら。想い続けて待つこと。赤い炎を静かに燃やし続けて待つこと。そして、待つことのなかに、一輪の花が咲く。舞台中央に大きく映し出された花の美しかったこと!

舞台一面の水。水は生命の源である。その水に、人間は手を加える。レンガを積み、流されてもまたレンガを積む。この行為が、人間の生活にどのような影響を及ぼすのか。禍々しい津波を引き起こすことになるかもしれない。この作品は、水を仲立ちにして、人類の歴史と個の歴史、そして未来を、象徴的に語っている。笙、能管など、日本の伝統楽器が主に使われて、高谷史郎がつくり出した静謐な舞台を包みこんでいた。

舞台の照明が落とされる。沈黙のなかに聴こえるのは、雨粒がひそやかに滴る音。

2024年4月12日 於いて新国立劇場中劇場

音楽 + コンセプト:坂本龍一
ヴィジュアル・デザイン + コンセプト:高谷史郎

出演:田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙奏者)、石原淋(ダンサー)
能管:藤田流十一世宗家 藤田六郎兵衛 (2018年6月録音)

照明デザイン:吉本有輝子
メディア・オーサリング、プログラミング:古舘健、濱哲史、白木良
衣装デザイン:ソニア・パーク
舞台監督:大鹿展明
音響エンジニア:アレック・フェルマン(KAB America Inc.)

夏目漱石「夢十夜〈第一夜〉」、「邯鄲」 英訳:サム・ベット
「邯鄲」現代語訳:原瑠璃彦
「胡蝶の夢」英訳:空音央

2024年4月19日 j.mosa