「亡命」「移民」、迫真のドキュメンタリー――デンマークのアニメ『FLEE フリー』

日本から脱出したいと思ったことがあったろうか。旅行などではなく、亡命のことである。学歴社会の息苦しさと、苛烈な競争を強いられる企業のなかにあって、時には異なる国に出てみたいと考えないことはなかった。しかし、国を捨てようと思ったことはない。
それゆえ、アフリカや中近東の、強権が支配する国から逃れようと、危険な海に船出する人々のことは、頭でしか理解はできなかった。その国内情勢、いかにして亡命の船に乗ったのか、さらに他国に上陸したあとの足跡など、詳しいことは知るべくもなかった。この『Flee』という映画を観るまでは。
「Flee」は英語で「逃げる」という意味の動詞である。主人公アミン(仮名)は、12歳のとき、家族とともにアフガニスタンから逃げる。最初はロシアに、その3年後にはデンマークに。命をかけて逃げ続けた3年間であった。
映画は、ドキュメンタリーであるにもかかわらず、表現はアニメーションである。それは、30歳半ば過ぎの現在なお、主人公アミンの背負った重荷に関係する。不法滞在者であったという現実である。いつまた、内乱のアフガニスタンに追い返されるか分からない、という恐怖。アミンは、映画に顔を出すことを拒否する。それゆえ、彼の友人は、やむを得ずアニメーションという表現形態をとった。友人は、時に揺れ動くアミンの心を励まし、彼の過去と現在を詳細に聞きとった。この映画では、「亡命」と「移民」という極めて現代的なテーマが、説得力をもって表現されることとなった。
1992年、アミンは、母親、姉ふたりと、アフガニスタンを後にする。目指したのはモスクワ。観光ビザがロシアからしか出なかったからだ。父親は、社会主義政権時代の79年、当局に連れ去られたまま行方不明となる。「イスラム国」となった92年も、アフガニスタンは混乱を極めていた。この国にいては、子どもたちに満足な教育を受けさせられない、という母親の思いも、国を出る原因のひとつであったようだ。
1992年のアフガニスタンといえば、ソ連が89年に撤退したあとの混乱期にあった。この国は、73年のクーデターで共和制に移行して以来、社会主義勢力とイスラム勢力が、絶え間のない戦いを繰り広げていた。アミンの父親は、共和制の時代、おそらくそれなりの役職についていたのだろう。しかしこの辺の情報は少ない。いずれにしてもアフガニスタンの現代史は、ソ連、アメリカ、タリバンなども入り乱れて、混沌の歴史である。現在の第2次タリバン政権のもとでは、女性の人権は殆ど認められていない。
1992年は、ソ連が崩壊して1年。ロシアも混乱のさなかにあった。警察は金品次第で不法滞在を見逃してくれる。アミンは、このロシアから脱出するのに3年を要する。長兄はすでにスウェーデンに渡り市民権を得ていて、彼からの仕送りが頼みのつなであった。暗躍するのは密出国ブローカーである。船に密出国者を詰め込んで希望の国まで運ぶのだが、ランクがある。安い船と契約した姉ふたりは、危うく窒息死するところだった。
アミンは1度目は失敗する。スウェーデンに向かう途中嵐にあい、エストニアの船に救われるのだが、ロシアに戻される。2度目は飛行機での逃亡であった。同年輩の若者とふたりの逃避行である。ブローカーの付き添いもあったゆえ、かなりの額を支払ったことだろう。亡命先に着いたあとの行動も綿密に教えられる。偽のパスポートを破却すること、親の死亡や姉の誘拐など話を捏造すること、等々。結局アミンは、希望のスウェーデンではなく、デンマークに亡命することになった。
15歳のアミンはコペンハーゲンに着いた。そのあと、移民としてどのように扱われたのか。どのような教育を受けたのか。残念ながら詳細は語られない。しかし、研究者として自立していることから、デンマークの支援は適切なものであったと想像される。ゲイであることも問題にされない。アフガニスタンでは、ゲイは法的にも社会的にも認められてはいない。
母親もそのあと亡命がかない、アミン一家はひとまずの安寧をえる。しかし、自らや家族のことを公にはできないという現実は、何らかの危険と隣り合わせであるからだろう。「亡命」「移民」問題は、それだけ複雑で、根が深いのだ。この映画は、世界、とりわけヨーロッパを揺るがしている移民問題を考えるうえで、またとない貴重な作品だと思う。
2025年6月21日 NHKEテレで放映
2021年 デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フランス映画
監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン
音楽:ウノ・ヘルマルソン
編集:ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン
2025年8月9日 j.mosa



