四季のなかに息づく映画——『あん』は自然そのもの

「あんを炊いているときのわたしは、いつも小豆の言葉に耳をすましていました。それは、小豆が見てきた雨の日や晴れの日を、想像することです。どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、旅の話を聞いてあげること。そう、聞くんです」

あんを炊きながら、徳江は、本当に嬉しそうに、千太郎に語りかける。この映画では、小豆も、あんも、鍋も、しゃもじも、語りかける。風や陽光、木々や草々も、語りかける。徳江はそれらの声にそっと耳を傾ける。すべては自然のなかにあり、すべてが呼吸をしているようだ。

映画そのものが呼吸をしている。観るものは、この映画の自然な息遣いに合わせて、ゆったりと呼吸を続けることになる。ハンセン病がひとつの大きなテーマであるにもかかわらず、この映画は穏やかで、とても快い。桜の咲く春にはじまり、新緑の初夏、紅葉の秋、冬を経てまた春が来る。大きな自然が、この映画を、また観る者たちを、優しく包み込んでいる。

登場人物たちもとても静かだ。ハンセン病の病歴がある徳江(樹木希林)、どら焼き屋の雇われ店長千太郎(永瀬正敏)、そこの客でもある中学生ワカナ(内田伽羅)。それぞれに不幸を背負いながらも、日常をたんたんと生きている。役者である以上演技が必要なことはいうまでもないが、三人ともその演技を感じさせない。とりわけ永瀬正敏は見事だ。

永瀬が出演した映画は結構観ている。『息子』(1991)、『男はつらいよ 寅次郎の青春』(1992)、『学校2』(1996)、『隠し剣 鬼の爪』(2004)、『紙屋悦子の青春』(2006)、『毎日かあさん』(2011)などで、好きな俳優のひとりである。元妻の小泉今日子と共演した『毎日かあさん』の駄目亭主など、永瀬本人がアル中ではないかと錯覚させるほどの演技だった。

この『あん』は、永瀬が演じる千太郎の心の動きとともに進行する。彼は傷害の前科を持ち、借金の返済のためにどら焼きを焼いている。「どら春」のあんは既製品で、おせじにもうまいとはいえない。頼み込まれてやむを得ず雇ったアルバイトが、あんづくり名人の徳江である。評判がたち繁盛することになるが、徳江のハンセン病歴が知られて客足がばたりと止まる。徳江は寂しく「どら春」を去ることになる。

去った徳江を、千太郎とワカナが全生園(国立のハンセン病療養所)に訪ねる場面が素晴らしい。深まる秋の、林中のカフェで彼らは対面する。千太郎は、ハンセン病が、感染力が弱く完治する病気であることを、すでに知っている。徳江を前にした千太郎の表情をカメラがとらえる。徳江を守れなかった無念さ、申し訳なさ、世間への憤り、哀しさ、諸々の感情が、彼の胸に溢れている。彼の涙は、そのまま観ている者の涙となり、周りの観客はみな目頭を押さえている。

めぐり来た春。千太郎は、桜の下で、屋台のどら焼きを売っている。「どら焼きいかがですか」の声に、かつての暗さはない。肺炎で逝った徳江の言葉が、彼の心に響いているのだろうか。
「なにかになれなくとも、なんの役にも立たなくとも、誰にでも、生きる意味はあるのよ」

2015年日本・フランス・ドイツ映画

監督・脚本・編集:河瀬直美
出演:樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、水野美紀、浅田美代子、市原悦子
2015年9月7日 於いてアップリンク

2015年9月8日 j-mosa