祈りは音楽の源泉か——真言声明とグレゴリア聖歌のコラボレーション

祈りこそ音楽の源泉ではないか? 真言声明とグレゴリア聖歌のコラボレーションを聴いて、そう実感した。声明は日本音楽の、グレゴリア聖歌は西欧音楽の、それぞれ源流だといわれている。そのふたつが共演する? 大きな期待を持つことなく、ほとんど興味本位で、オーチャードホールまで出かけたのであったが。

18時過ぎにホールに到着。すでに大人数の行列ができている。指定席なのになんで行列が? オペラやクラシックのコンサートでは考えられない。聴衆があまりに多く、一時に入りきらないのだった。東京でも有数の大ホールが、それこそ超満員。いったい誰が、このような「地味な」企画に興味を持ったのだろうかと、いまでも不思議でならない。

第一部は真言宗の声明。「庭讃(にわのさん)」「唱礼(しょうれい)」「散華(さんげ)」「光明真言行道(こうみょうしんごんぎょうどう)」「称名礼(しょうみょうらい)」の5曲。それぞれ儀式の際に歌われるのだろうが、はじめて聴く身には、一括して「真言声明」として聴くほかはない。

舞台の両袖から、金銀の刺繍に彩られた、華やかな法衣をまとった僧が登場する。ふたりは法螺貝を高らかに吹き鳴らし、別のふたりはシンバル様の楽器(繞(にょう)というらしい)を派手やかに響かせる。左右対である故、ステレオ効果満点である。2種類の楽器に先導されて、十人余の僧が登場する。絢爛豪華。見事な幕開けというほかない。

先唱する僧も、斉唱する僧も、惚れぼれするような力強いバリトンである。もちろん、オペラなどの発声法であるベルカント唱法ではない。後の、謡い、義太夫、浪曲、歌謡曲などにつながる、喉を振り絞るような声。十分に歌いこまれた荘厳な美声に、すっかり引きこまれた。

さて第二部のグレゴリオ聖歌。これはもう、天上の歌声という表現がぴったり。繊細で柔らかな十数人の歌い手の声が、まるで一本の線のように天に立ち昇る。ベルカント唱法ではもちろんないのだが、ルネサンス期に完成されたとされるポリフォニーは、もう目の前だと感じられた。

圧巻は第三部である。声明とグレゴリオ聖歌のコラボレーション。これほど異質な音楽をどのようにコラボさせるのか。想像もつかなかった。ところが、それぞれがまったく関連のない曲を歌いながら、ひとつの圧倒的な宗教空間をつくりあげた! 地を響かせるような声明のバリトンの上に、軽やかに宙を舞うグレゴリオ聖歌の歌声。いったい誰がこのような組み合わせを考えたのだろう。

コラボは2作あり、それぞれ以下のとおり。
声明「露地の偈」/グレゴリア聖歌「異邦の者が我に逆らいて立ち」(交唱)、「主よ、御名によって」(詩篇第54編)
声明「理趣経善哉譜」/グレゴリオ聖歌「第4ミサのキリエ」

声明とグレゴリア聖歌に共通するのは祈りである。人間を超えた存在に対する祈り。神であれ、大日如来であれ、祖霊であれ、自然であれ、自らを超えた存在に対して、人は祈る。それは、人間が弱い存在であるからだ。自らの力ではどうにもならない出来事は多い。声明とグレゴリア聖歌が生まれた中世の時代ではなおのこと、人間の力は小さなものであったろう。祈りは切なるものであったはずである。オーチャードホールでは、その祈りの力をまざまざと体験することができた。

2017年12月1日 オーチャードホール

真言宗青教連法親会
ミラノ大聖堂聖歌隊

指揮:クラウディオ・リヴァ

2017年12月4日 j.mosa