人生の空虚と愛――カール・ドライヤー『ガートルード(ゲアルトルーズ)』

デンマークの映画には圧倒される思いがする。とはいっても、実は3本しか観ていないのだが。そのうちの2本は、ラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』と『ダンサー・インザ・ダーク』。ともにカンヌ映画祭で賞を得ている。前者は1996年のグランプリ、後者は2000年のパルム・ドールである。商業化されているとはいえ、この2本に高位の賞を与えているカンヌ映画祭は、捨てたものではないと思っていた。2つの映画とも女性が主役で、信仰あるいは愛について、極限の問いかけをした内容だった。手持ちカメラを駆使した不安定な映像に自分の心の動揺を反映させて、息をのむ思いで観入った記憶がある。

そのトリアー監督は、故国デンマークの大先輩、カール・ドライヤー(1889~1968)を、当然のことながら尊敬している。もちろん大きな影響を受けているらしい。この事実を知っていながら、恥ずかしいことに、私はドライヤー作品を1本も観ていなかった。今度『ガートルード(ゲアトルーズ)』をNHKのBSで観たのも、まったくの偶然だった。友人から録画を依頼され、数日後にそれを観るに及んではじめて、それがドライヤーの作品だということを知ったのである。

 ドライヤーの作品でもっとも有名なものは、無声映画時代の『裁かるるジャンヌ』だろう。クローズアップが「映画史上もっとも美しく」用いられていると評されているが、これが1927年制作。そして私が観た『ガートルード』は1964年の作品。この37年の間に、長編映画としては、ドライヤーは5本の作品しか撮っていない。もっとも、1918年の第1作から生涯に作った長編作品は14本というから、寡作の映像作家であったようだ。

『ガートルード』のモノクロの映像は、緊密で、構築的で、少しの無駄もない。まずこのことに感銘を受ける。最後の作品ということもあり、ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタを連想する。作品の核が「愛」ということも共通している。ベートーヴェンのピアノ・ソナタに秘められた愛は、〈不滅の恋人〉アントーニアへの愛であるが、この映画は、女主人公ガートルードの、男性への愛を中心に展開する。

ガートルードは、全身全霊をこめて男性を愛する。その愛は神聖であり、善であり、美でもある。それは、彼女が観にいこうとしているオペラ、ベートーヴェンの『フィデリオ』に描かれる愛に共通する。女主人公レオノーレ(男装してフィデリオと名乗る)は、命を賭して囚われの夫を救うのだが、このような愛に近い、ガートルードの存在を賭けた愛を、男たちはよく受け止めることができない。

男たちには仕事がある。別れたかつての恋人には詩作が、夫には弁護士業が、愛人には作曲が。愛は彼らの心に大きな位置を占めるものの、彼らの人生のすべてだとは言い難い。しかし、愛がすべてだと信じるガートルードにとって、男たちは愛を見下しているとしか思えない。ここに悲劇が生じる。彼女は男たちから去り、ひとりパリに向かう。男たちには、なぜ彼女が去っていったのか理解できない。

ところで、「愛を見下していた」男たちは、幸せを得たか。芸術上の名声も、権力も、富も、彼らの心の空虚を埋めることはできなかった。幸福は、愛を欠いては得られない。では、愛を成就させるためには、いったい何が必要なのか。この映画は、根源的な問いを投げかけている。

製作年:1964年
製作会社:パレージウム(コペンハーゲン)
監督・脚本:カール・ドライヤー
原作:ヤルマール・セーデルベルイ
撮影:ヘニング・ベンツセン
編集:カール・ドライヤー、エーディト・シュルッセル
サウンド:クヌズ・クリステンセン
音楽:ヨアン・イェアシル
舞台美術:カイ・ラーシュ
衣装:ベーリット・ニュキェア
出演:
ガートルード/ニーナ・ペンス・ローゼ
グスタフ・カニング/ベンツ・ローテ
ガブリエル・リーズマン/エッベ・ローゼ
エアラン・ヤンソン/ボアズ・オーヴェ
アクセル・ニュグレン/アクセル・ストレビュ

2008年1月19日 j-mosa