愉悦に満ちたオペラのよう——92歳ブロムシュテットの『ハ短調ミサ』
ヘルベルト・ブロムシュテット。スウェーデンの指揮者で当年92歳。彼の指揮するモーツァルトの『ハ短調ミサ』を聴いて、円熟とはなんだろうと考えた。若々しいリズム、しなやかなフレージング、なによりも美しい歌が溢れている。それは、円熟とはほど遠い音楽だった。まるで、愉悦にみちたオペラを聴くよう。
そもそも、歳を重ねることで、円熟に近づくと考えることが間違っているのではないか。馬齢を重ねている私も、体力は落ちているし、記憶力もおぼつかない。しかし、食欲などそれほど減退することはないし、エロスへの憧れもそれなりに健在である。好奇心も旺盛。若いころに想像していた老人像とのあまりの違いに、我ながら愕然とする。
ものごとを沈着冷静に受け止め、豊かな経験に基づいて確かな判断をくだす。怒ること少なく、争いは避け、和すことを尊ぶ。生なかなことでは動揺することもないし、発する言葉も重厚。およそこんな老人がいるのだろうか。
いぶし銀のような音楽と表現されることがある。それがどのようなものなのかはよく分からないが、たとえばブルーノ・ワルターの最晩年のマーラーは、青春の憧れと苦悩に満ちている(1961年録音の『交響曲第1番〈巨人〉』のLPは中学時代に買った私の宝物)。円熟の音楽なんて、きっとつまらないものにちがいない。
さて、当夜のブロムシュテット。ふたりの素晴らしいソプラノを得て、私がかつて聴いたどの『ハ短調ミサ』をも凌駕するものだった。ソプラノが重唱する「Domine 神なる主」。絶妙にからまるふたりの美声が、最上階の席(1500円の自由席!)の私に柔らかく、しかし明瞭に届けられる。神への賛美とエロスが一体となる音楽。恍惚の感におそわれる。隣のおじさんも身を乗り出している。
「Et incarnates est 精霊によりて」はいつ聴いても心を揺すぶられる。ザルツブルクへの帰郷の際、妻のコンスタンツェも歌ったというが、モーツァルトの幸福感にあふれた歌である。オペラの数々のアリアを含めても、1、2を争う名曲だ。ブロムシュテットは、ソプラノの自由度を尊重して、深々と美しいメロディを奏でた。
終演後、聴衆の拍手が鳴りやまない。舞台からオケのメンバーが去り、合唱のメンバーが去っても拍手が続く。その誰もいない舞台に、ブロムシュテットはひとり立って、聴衆に満面の笑みを振りまいた。
2019年11月23日 NHKホール
モーツァルト
交響曲第36番ハ長調K.425〈リンツ〉
ミサ曲ハ短調K.427
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ソプラノ(1):クリスティーナ・ランツハマー
ソプラノ(2):アンナ・ルチア・リヒター
テノール:ティルマン・リヒディ
バリトン:甲斐栄次郎
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:NHK交響楽団
2019年11月25日 j.mosa