また笑って泣いてしまった——『男はつらいよ お帰り寅さん』

『男はつらいよ お帰り寅さん』ははじめから涙だった。歳とったさくらと博が柴又の団子屋にいる。背景に、50年前、つまり『男はつらいよ』第1作の彼らの姿が映し出される。涙は、懐かしさからだったのか、あるいは、歳月の残酷さを思ったからだったのか。そのどちらでもないような気がする。では、何に対して泣いていたのだろう。

第1作が公開されたのは1969年。さくら、つまり倍賞千恵子は当時28歳。20歳にしかみえない。なんと初々しい。私は22歳の大学生だった。それからシリーズの最終作、第49作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』の1997年まで、その約30年間を、寅さんやさくらたちとともに歩んできたような気がする。さらに20年の歳月が流れて50年、はるかに遠くにきたのものだと思う。涙はこの感慨だったのだろうか。

八千草薫、吉永小百合、若尾文子、大原麗子、太地喜和子、松坂慶子、田中裕子、などなど、往年の美しい女優がフラッシュバックされる。寅さんは自らを省みることなく彼女たちに恋をしたわけだが、よくもこれだけの女優が出演したものだと思う。しかもそのいちばん美しい盛りに。京マチ子などすでに50歳を過ぎていたとはいえ、その成熟した美しさは、若いころとはまた別格の深い味わいがあった。

第1作から50年を記念する今年、山田監督は、49作をつなぐ回顧作品をつくろうとまずは考えたらしい。しかし断片的につなぐだけでは面白くない。さくら(倍賞千恵子)も博(前田吟)も健在だし、満男(吉岡秀隆)も活躍している。泉(後藤久美子)もヨーロッパにいるではないか。彼らの心のなかには、もちろん寅さん(渥美清)がいることだろう。ということで、『男はつらいよ』の第50作目が誕生したということだ。

主役4人ばかりではなく、シリーズ最強のマドンナ、リリー(浅丘ルリ子)は現役のバーのマダムであるし、隣の印刷屋の娘あけみ(美保純)は、瞬間湯沸かし器のタコ社長そっくりに成長している。他にも、老いた寺男源公(佐藤蛾次郎)もいるし、三平(北山雅康)はいまも団子屋で働いている。みんな、みんな、懐かしい。

しかしながらこの映画は、単なる回顧作品に終わってはいない。やっと処女作品を刊行したばかりの満男は、6年前に妻に先立たれ、中学3年の娘とのふたり暮らしである。作家という仕事にいまひとつ自信がもてないし、周囲から勧められる再婚にも乗り気ではない。50歳ちかくになって、別の生活を営んできた女性と時空間を共にする自信などないのだ。確かに、3度も4度も結婚を繰り返す人たちの心境は、想像すらできないではないか。

泉を母親(夏木マリ)とともに捨てた父親(橋爪功)が、施設で孤独に死を迎えようとしている。「この人と私はもう赤の他人。でも子どもである貴女とは血がつながった親子」と主張する母親の言は、勝手ながら筋が通っていなくもない。しかし女をつくって家を出た父親を、泉ははたして赦すことができるのか。この映画は、人と人とが理解しあうことの困難さ、赦すことの難しさを、リアルに表現しているのだ。

にもかかわらず、人は生き続けねばならない。回想の若き満男は、寅さんに問う、人間の生きる意味は何か、と。「毎日生きているとさ、時々、ああ生まれてきてよかったなあって思うことがあるじゃあねえか。そのために生きているんじゃあねえかな」。確かに、寅さんの映画を観て笑っていると、生まれてきてよかったなあ、と思うことがある。この50作目の『男はつらいよ』も、そんな映画であった。

2019年12月23日 於いて丸の内ピカデリー

2019年日本映画
監督・原作:山田洋二
脚本:山田洋二、朝原雄三
音楽:山本直純、山本純ノ介
出演:渥美清、倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆、後藤久美子、浅丘ルリ子、夏木マリ、池脇千鶴、美保純、橋爪功、佐藤蛾次郎、北山雅康、カンニング竹山、小林稔侍、笹野高史、立川志らく

2019年12月25日 j.mosa