小津安二郎の「紀子三部作」――『晩春』『麦秋』『東京物語』

コロナウイルス禍で、劇場も映画館も閉まっている。大切な楽しみへの窓が閉ざされている以上、家でその代替物を求めるしかない。音楽にせよ、映画にせよ、劇場で観るにしくはないのだが。音の広がりはもちろん、大勢の観衆と共に鑑賞することもまた、臨場感を味わううえで大事な要素なのだ。

しかし仕方がない。映画も家で観るしかない。そこで、それにあたって、普段ではあまりやらない観方をとることにした。つまり、テーマを決めて鑑賞しようと決めたのだった。そして、それに格好の材料があった。小津安二郎の「紀子三部作」である。『晩春』『麦秋』『東京物語』がそれである。いずれも原節子主演で、その役名がすべて紀子なのである。

「紀子三部作」という呼び方は、じつは最近知った。NHKラジオで、映画評論家の西村雄一郎から教わったのである。小津安二郎の、原節子への恋情が濃厚に表現されている、と。もちろん私は、これら三作品はすでに観ている。『東京物語』など何度観たか分からない。しかしまとめて観たことはないし、原節子を特別な観点で観たこともない。

制作年は、『晩春』が1949年、『麦秋』が1951年、『東京物語』が1953年である。三作の共通項の第一はもちろん原節子で、その凛とした美しさは類がない。西村は、『麦秋』の彼女の美しさを絶賛していたが、私は、『晩春』の原節子にこそ、その魅力のすべてが凝縮されていると思う。

『晩春』での原節子は、美しいだけではなく、人間の感情の複雑さを、じつによく表現している。父親の再婚話に対する嫉妬は、異性へのそれとはもちろん異なる。亡くなった母親を愛していたゆえに、裏切られたという思いもあるはずだし、これだけ父親に尽くしているのになぜ、という気持ちもある。そのやるせない感情が、惻々と伝わってくる。

いたずら盛りの甥をからかう原節子の顔をアップでとらえた場面がある。彼女のやんちゃな一面をそれとなく表しているのだが、その美しさはさらに複雑になり、観る者の心をとらえて離さない。『麦秋』の意志の強さ、『東京物語』の優しさ、いずれにも原節子の魅力は満開である。小津安二郎が、彼女に対して、プラトニックな愛を秘めていたことがよく分かる。

『晩春』と『東京物語』で老いた父親を演じた笠智衆の存在も忘れるわけにはいかない。演技らしい演技をするわけではないのだが、父親の哀感を深々と表現する。あの存在感はどこからくるのだろう。当時彼はまだ50歳になっていない。逆に、芸達者な杉村春子も、この二作品にはなくてはならない存在である。いずれもトリックスターで、これら二作の喜劇的要素を一身に体現している。舞台俳優は、表現の過剰さゆえに映画には不向きだと思うのだが、杉村春子だけは例外である。

小津安二郎の映画は、ある意味で紙芝居だと思う。美しい絵の集積で映画が成り立っている。一場面一場面に小津の美意識が浸透していて、その静止した絵のなかに、登場人物が出はいりする。カメラは、昨今の映画のように激しく動くことはない。一点に静止している。それゆえか、観ていて疲れることはない。不思議なリズム感のなかで、癒しの時間を過ごせるのだ。

三部作を貫くテーマはなんだろう。西村は家族の崩壊だという。確かに家族は大きなテーマではあるだろう。とりわけ『東京物語』は、核家族化の問題点を提示していて、その先見性には驚かされる。このテーマは、山田洋次や是枝裕和に引き継がれて、ある意味では永遠のテーマともいうことができる。是枝は、『万引き家族』で、血縁を超えた家族の可能性を追究している。

私は、「時」こそ、紀子三部作に共通する最大のテーマではないかと思う。若さは色あせる。人は老いる。そして、死ぬ。この残酷さは、誰にも止めることはできない。「この可愛い孫は将来なにになるのだろう、それまで私は生きてはいないのだろうが」と、『東京物語』の老母は述懐する。そして、思いもかけなく、東京への旅ののち、亡くなってしまう。

しかし、「時」は癒しでもある。『麦秋』でも『東京物語』でも、次男は戦争から帰らない。その悲しみを癒すのは、時の経過しかないのだ。次男の嫁である紀子は、義母から再婚を勧められる。終戦から8年、もう息子は帰ることはない、と。原節子と東山千栄子がしみじみと語りあう『東京物語』の名場面である。そしてこの映画が、静かな反戦映画であることが理解される。

小津安二郎は、1963年12月12日、60歳でこの世を去る。原節子は、その通夜に出席したあと、表舞台から姿を消す。43歳の若さである。彼女の、小津への愛の深さを思わざるをえない。そして、『麦秋』はさておき、『晩春』と『東京物語』こそ、このふたりの最高傑作である、と確信した。もちろん、日本映画史上の大傑作であることはいうまでもない。

2020年4月29日 j.mosa