舞台を制したカウンターテナー――ブリテン『夏の夜の夢』

久しぶりにオペラの素晴らしさを堪能した。劇場が夢のような音楽に満たされて、舞台では、神秘の森のなかを不思議な劇が進行する。2度の休憩を含めて3時間半、私は豊かな別世界に遊ぶことができた。これこそオペラである。新国立劇場の『夏の夜の夢』。コロナ禍で7ヶ月の中断後の、再開第一作である。

幕が開くに連れて、コントラバスの低音が舞台の底から響きわたる。そして、その不気味さとは対照的な、清らかなボーイソプラノの合唱。4階席の私には、それらの音一つひとつを、手につかみとることができるかのようだ。そして、これからはじまる、不思議な物語へのいい知れぬ期待が、いやがおうにもたかまってくる。

それにしても、新国立劇場は、音響のいい劇場である。私の席はC席で、4階の中央あたり。『夏の夜の夢』の音楽にはソロパートが多く、木管楽器の柔らかな響きや、普段はあまり耳にしない鉄琴・木琴の不思議な響きが、目の前で奏されるように聴こえてくる。音を聴くのなら、安い4階席が断然いい。1800人収容という中規模の大きさも、オペラには理想的なのかもしれない。

さて、本公演の華は、なんといっても妖精の王オーベロンを歌ったカウターテナーの藤木大地である。ビロードのような柔らかい声で、繊細に、不気味に、人間にあらざる者の存在感を表現した。指揮の飯森範親は、彼の独特の声をキーとして、このオペラの音楽づくりをしたのではないか。このように思えるほどに、舞台は彼の声に焦点が当てられていた。

妖精の王オーベロンは、ソプラノやアルトでは表現できない。ましてテナーではさらにイメージは遠のく。このオペラがつくられた1960年当時には、カウンターテナーなどほとんど存在しなかった。にもかかわらずカウンターテナーに固執したブリテンの見識には、大いなる敬意を表したい。他のいかなる声域でも、オーベロンの不思議な妖精性は表現できないであろう。そして藤木大地は、見事にブリテンの期待に応えたといっていい。

『夏の夜の夢』の原作はいうまでもなくシェークスピアである。オペラ化にあたって二分の一ほどに短縮したとはいえ、セリフのほとんどは原作そのままであるという。戯曲の原作をそのままオペラにする。そのようなことが可能だとは思わなかった。シェークスピア戯曲のセリフそのものものが音楽的なのだろうが、ブリテンの作曲技術はもちろん並ではない。妖精、貴族、職人、という三層が入り乱れる複雑な構造を見事に音楽化した。

それにしてもブリテンは不思議な作曲家である。16作もあるという彼の作品のほんの一部しか聴いたことはないけれど、それぞれまったく異なる印象を受ける。彼の活躍した20世紀半ばは、シェーンベルク亡きあとの現代音楽が支配的であったはず。彼の音楽からは、その先鋭性は感じられない。といって、R.シュトラウスのような、後期ロマンの響きはもちろんない。しかし、彼の音楽は、題材に忠実である。じつに説得力があるのだ。

『ビリー・バッド』など、ナポレオン戦争中の戦艦が舞台ゆえ、すべて男声。テーマは「法」という抽象性が高いもの。ブリテン以外、誰がこのようなテーマでオペラをつくろうとするだろうか。しかも、これがまた、説得力十分。このオペラについては、別稿にゆずりたいと思う。

4階席の弱点は舞台がはっきりとは見えないことである。しかし、主舞台が屋根裏部屋というのはどうなのか。音楽は森の神秘さを表現しているのだから、自然のなかの舞台が観たかった。とはいえ、飯森のタクト、ボーイソプラノの合唱、ソリスト、すべてが水準を超える素晴らしい舞台であった。

2020年10月12日 新国立劇場

指揮:飯森範親
演出:レア・ハウスマン(デイヴィッド・マクヴィカーの演出に基づく)

オーベロン:藤木大地
タイターニア:平井香織
パック:河野鉄平
シーシアス:大塚博章
ヒポリタ:小林由佳
ライサンダー:村上公太
ディミートリアス:近藤圭
ハーミア:但馬由香
ヘレナ:大隅智佳子
ボトム:高橋正尚
クインス:妻屋秀和
フルート;岸浪愛学
スナッグ:志村文彦
スナウト:青地英幸
スターヴリング:吉川健一

東京フィルハーモニー交響楽団
TOKYO FM少年合唱団

2020年10月25日 j.mosa