愛は時空を超える――愛の本質を描いた『慕情』

この映画は、ハン・スーイン(1916~2012)の自伝をもとにつくられた。ハン・スーインは、中国人技術者の父とベルギー人の母との間に生まれた、作家であり医者である。舞台は、1949年の香港。彼女は、ロンドンで医学を学び、クイーン・メアリー病院の研修医となっている。1949年は、共産党のもと、中華人民共和国が誕生した年である。スーインの実家は重慶にあり、彼女は、研修をすませたあとは故郷に戻り、自らの経歴を生かそうと考えている。

いっぽう、中国本土からは、革命を逃れて、数千の人たちが香港に押し寄せている。香港にとっても中国にとっても、1949年という年は決定的に大事な年である。しかしこの映画は、その社会的背景について深く描くことはない。病院で働くひとりの中国人の医者が、革命中国への期待から、本土に帰ることを決意している姿をさらりと描写するにすぎない。

主人公のハン・スーインは、イギリス人の新聞記者、マーク・エリオットと恋に落ちる。そして、その恋ゆえに、香港にとどまることを決意する。ここは、彼女の懊悩を、もっと描くべきであった。祖国への愛と異性への愛の相克は、通俗的ながら、ドラマには格好の題材である。ましてその後の、スーインの革命中国への傾倒ぶりを考えると、ここで心が揺れなかったはずはないのだ。

とはいえ、この映画を語るとき、そのような感想をいだくことはやぼというものだ。この映画は、徹底的に男女の愛に焦点をあて、その普遍性を描写しているのだから。原題は “Love is a Many-Splendored Thing”。

エリオットには、シンガポールに妻がいる。長年別居中なのだが、妻が離婚を認めない。ふたりの関係は不倫ということになり、狭い香港社会で噂のまとになる。スーインも研修医の職を解かれてしまう。そして朝鮮戦争(1950~53)の勃発。エリオットは従軍記者として戦地に赴くことに。

心の半分を喪失したような思いをかかえながら、ひたすらエリオットの無事を祈るスーインに、手紙が届き続ける。エリオットは、弾丸が飛び交うなかで、手紙をタイプする。タイプライターに蝶が一匹。

「未来のことは分からないがこれだけは確かだ。悲劇とは愛を知らないこと。神は我々にほほえんだ」

しかしこの手紙が届いたとき、エリオットはすでに戦場で亡くなっていた。それでも手紙は届く。

「ぼくらは逃したりはしてないよ。ふたりの輝くものを」

海が見渡せるふたりの思い出の丘で、泣き崩れるスーイン。目の前を一匹の蝶が舞う。

蝶はふたりの愛の象徴である。半ばを喪失したかのようなスーインの心は、エリオットとの思い出で癒される。いやそれ以上に、ふたりの愛の思い出は、スーインの生きる力となるはずである。そして、エリオットの魂もまた、澄みわたる青空のように浄化されたことであろう。愛は空間を超え、時間をも超える。永遠といわれるゆえんである。

2020年10月10日 NHKBSプレミアムで放映

1955年アメリカ映画
監督:ヘンリー・キング
脚本:ジョン・パトリック
原作:ハン・スーイン
製作:バディ・アドラー
音楽:アルフレッド・ニューマン
撮影:レオン・シャムロイ
出演:ジェニファー・ジョーンズ、ウィリアム・ホールデン、イソベル・エルソム、ジョージャ・カートライト、マーレイ・マシソン

2020年12月20日 j.mosa