日本人女性の強さを描く――文楽『生写朝顔話』


4月25日、5月11日までの3回目の緊急事態宣言が東京都に発出された。5月14日の文楽のチケットを買ってあった私は、その時点で観劇を諦めていた。政府と都の新型コロナウイルスに対する無策ぶりから、観劇当日は当然宣言が延長になっていると考えたからである。事実そのとおり宣言は延長となった。しかし不思議なことに、その内容は一部緩和され、国立劇場小劇場での文楽公演は実施されることとなった。

割り切れない気持ちをかかえながら、観劇できることは僥倖であるととらえて、劇場に足を運んだ。体温を測定され、チケットは自らもぎって席についたが、観客は政府や都の指導に従い半分くらい。そもそも古典芸能やクラシック音楽の観客は静かである。感染が広がる可能性は低く、クラスターが発生したという事実もない。しかし、感染が高止まりし、その大半の感染経路が追えない現況下では、宣言の一部を緩和したことにはやはり疑問を覚える。そして残念なことに、出演者に感染者が出て、18日以降の公演は中止になってしまった。

とはいえ、日本の社会状況が混沌を極めているなか、文楽の演者の皆さんは、いつにも増しての熱演をみせてくれた。太夫の語りとそれに拮抗する三味線は、オペラ歌手とオーケストラの関係に引けをとらない。ホール一杯に広がるその音響は、ライブならではの迫力である。音楽にせよ、演芸にせよ、また映画もそうだが、生きることに力をくれるこれらの芸術が、不要不急であるはずはない。

さて、『生写(しょううつし)朝顔話』は、西国の大名大内家のお家騒動をモチーフにしている。しかし当日上演された四つの段にはその影はみえない。大内家の家臣宮城阿曾次郎と大名秋月家の娘深雪の恋に焦点が当てられている。一目惚れしたふたりの、これでもかというすれ違いの物語となっているのである。はらはらする物語展開はとにかく、私はなによりも、深雪の一途な行動に目を見開かされた。

深雪は、行方も知れない阿曾次郎を求めて、家出をするのだった。現代の話ならいざしらず、時は封建の江戸時代である。しかも家柄の高い大名の娘。この設定からして、類を見ない話である。最後は瞽女にまで零落し、いくつもの料亭で琴を弾く身となっている。しかも、阿曾次郎恋しさのあまり、目はものを見ることができない。なんという思いの強さであることか。

この演目を観ながら、私はプッチーニの『蝶々夫人』を思い浮かべていた。つい最近もNHKBSで、カラヤン指揮、ポネル演出のオペラ映画が放映されたのだが、このオペラはプッチーニの最高傑作だ、と改めて認識したものだった。溢れる旋律美はともかく、恋する女性の強さを、最大限に表現している。ドミンゴの軽薄なピンカートンに対して、フレーニの初々しい蝶々さんは、愛に生きる日本女性の強さを余すところなく歌いあげている。

愛するということは、信じるということである。たとえ裏切られようとも、信じること。それはそのまま、強さにつながるのであろう。深雪は多くの人の助けを得て開眼し、阿曾次郎とも添い遂げることになる。冒頭に掲げた絵は、上村松園の「娘深雪」。画伯は、この演目の深雪を、心から愛していたという。苦しい恋を体験した松園の、心の声が伝わってくるようだ。

2021年5月14日 国立劇場小劇場

宇治川蛍狩りの段
明石浦船別れの段
宿屋の段
大井川の段

義太夫:竹本小住太夫、竹本三輪太夫、竹本織太夫、豊竹芳穂太夫、竹本津國太夫、豊竹咲太夫、豊竹靖太夫
三味線:鶴澤友之助、鶴澤清友、鶴澤清志郎、鶴澤清方、鶴澤燕三、鶴澤燕二郎、野澤錦糸
人形:吉田勘彌、吉田玉誉、豊松清十郎、吉田簑一郎、桐竹勘介、吉田玉路、桐竹勘次郎、桐竹勘昇、吉田簑之、吉田清五郎、吉田勘市、吉田簑太郎、吉田玉勢

2021年5月24日 j.mosa